もし自分の皮膚細胞が、失われた神経細胞の代わりになれるとしたら?そんな再生医療の夢を大きく前進させる画期的な技術が、マサチューセッツ工科大学(MIT)で生まれました。これまで細胞の種類を変えるには、iPS細胞のような「万能細胞」を経由する必要がありましたが、MITの研究チームは、皮膚細胞から直接、神経細胞へと「ワープ」させるかのような新たな手法を開発。しかも、マウス実験では、1つの皮膚細胞から10個以上のニューロンを作り出すという驚異的な効率を達成しました。この「ダイレクトコンバージョン」技術がヒト細胞にも応用できれば、脊髄損傷やALSといった難病に苦しむ患者さんのための運動ニューロンを大量に供給できる道が開けるかもしれません。2025年3月13日に「Cell Systems」誌で発表されたこの研究は、細胞置換療法の未来を明るく照らしています。 「私たちは、これらの細胞が細胞置換療法の実行可能な候補となりうるかどうかという問いを発することができるほどの収率に到達できました。そうなってほしいと願っています。このような種類の再プログラミング技術が私たちをそこへ導いてくれるのです」と、MITのW. M. ケック生物医学工学・化学工学キャリア開発教授であるケイティ・ギャロウェイ博士(Katie Galloway, PhD)は述べています。 これらの細胞を治療法として開発するための第一歩として、研究者らは運動ニューロンを生成し、それらをマウスの脳に移植したところ、宿主組織と統合することを示しました。 ギャロウェイ博士は、この新しい方法を記述した2つの論文の責任著者であり、MITの大学院生であるネイサン・ワン氏(Nathan Wang)が両論文の筆頭著者です。 皮膚からニューロンへ 約20年前、日本の科学者たちは、4つの転写因子を皮膚細胞に導入することで、それら

私たちの体の中で、歳とともに増え続け、まるで「ゾンビ」のように居座っては悪さをする細胞がいることをご存知ですか?これらは「老化細胞」と呼ばれ、分裂をやめた後も体内に残り、周囲に炎症を引き起こす物質をまき散らします。この慢性的な炎症こそが、多くの加齢関連疾患の引き金になると考えられています。この「体内の火種」を消し止める鍵を、サンフォード・バーナム・プレビス医学研究所の研究チームが発見しました。そのヒーローは、細胞のがん化を防ぐ「門番」としても知られるDNA修復タンパク質「p53」。p53が、老化細胞による炎症を抑え、さらにはその原因となる細胞内の「ゴミ(損傷DNAの断片)」の発生も防ぐというのです。2025年3月5日に「Nature Communications」誌で発表されたこの研究は、p53をターゲットにした新しい老化予防・治療戦略への道を開くかもしれません。 論文タイトルは「p53 Enhances DNA Repair and Suppresses Cytoplasmic Chromatin Fragments and Inflammation in Senescent Cells(p53は老化細胞におけるDNA修復を強化し細胞質クロマチン断片と炎症を抑制する)」です。研究を率いたサンフォード・バーナム・プレビス医学研究所(Sanford Burnham Prebys)のがんゲノム・エピジェネティクスプログラムのディレクター兼教授であるピーター・アダムス博士(Peter Adams, PhD)は、老化細胞の炎症プログラムが健康長寿の大きな障害となっていると指摘しています。 この炎症プログラムを「実行している」細胞は、老化関連分泌現象(SASP: senescence-associated secretory phenotype)を示すと考えられています。炎症

体内に埋め込んだセンサーが、24時間健康を見守ってくれる――そんなSFのような未来が、もうすぐそこまで来ているかもしれません。しかし、この「体内見守りセンサー」実用化には、大きな壁がありました。センサー表面に細菌や細胞が付着して邪魔をする「バイオファウリング」と、体がセンサーを異物とみなして攻撃する「異物反応」です。これらの問題が、センサーの寿命を縮め、正確な測定を妨げてきました。この長年の課題に、ハーバード大学ウィス研究所の研究チームが画期的な解決策を提示しました。彼らが開発したのは、センサーを「汚れ」や「体の攻撃」から守りつつ、長期間安定して機能させることを可能にする特殊なコーティング技術。まるでセンサーに「透明な鎧」を着せるようなこの技術は、糖尿病患者さんの血糖値モニターはもちろん、脳の状態やがん治療の効果判定など、幅広い医療分野での応用が期待されています。2025年3月6日に学術誌「Biosensors」で発表されたこの研究は、個別化医療やデジタルヘルスの未来を大きく前進させるかもしれません。 論文タイトルは「An Antimicrobial and Antifibrotic Coating for Implantable Biosensors(埋め込み型バイオセンサーのための抗菌・抗線維化コーティング)」です。 この課題の克服は、慢性疾患や自己免疫疾患患者のより長期的な状態モニタリング、既存治療や臨床試験中の新薬に対する患者の反応評価、脳を含む多くの臓器における生理学的・病理学的シグナルの測定といった、多くの臨床診断および研究応用への道を開くことになります。 この新しいコーティング技術は、埋め込み型およびウェアラブルバイオセンサーの寿命を大幅に延ばしつつ、その電気信号活性を維持します。これにより、体内のさまざまな生体液中のアナライトを、潜在的には数週間

パーキンソン病――その名は、多くの人々に不安と困難をもたらす進行性の神経変性疾患として知られています。根本的な治療法がいまだ見つからない中、オーストラリアの研究機関から、この難病との闘いに光明を投じる画期的な発見が報告されました。ウォルター・アンド・イライザ・ホール医学研究所(WEHI: Walter and Eliza Hall Institute)の科学者たちが、パーキンソン病の発症に深く関わる「PINK1」というタンパク質の「働く姿」を、世界で初めて捉えることに成功したのです。このタンパク質は、細胞内のエネルギー工場であるミトコンドリアが傷ついたときに重要な役割を果たしますが、その詳細なメカニズムは20年以上も謎に包まれていました。今回、その構造とスイッチが入る瞬間が明らかになったことで、PINK1を標的とした新しい治療薬開発への道が大きく開かれると期待されています。2025年3月13日に科学誌「Science」で発表されたこの成果は、パーキンソン病治療の新たな夜明けを告げるものかもしれません。論文タイトルは「Structure of Human PINK1 at a Mitochondrial TOM-VDAC Array(ミトコンドリアTOM-VDACアレイにおけるヒトPINK1の構造)」です。 研究成果のポイント WEHIの研究者たちが、世界で初めてヒトPINK1の姿とその活性化の仕組みを発見しました。 PINK1は、アルツハイマー病に次いで2番目に多い神経変性疾患であるパーキンソン病に関連するタンパク質です。パーキンソン病には根治治療法がありません。 「Science」誌に掲載されたこの発見は、パーキンソン病との戦いにおける大きな前進であり、病気の進行を止める薬剤探索を加速させることが期待されます。 パーキンソン病は潜行性に進行し、診断までに数

なぜか女性の方がよく効く痛み止めがある。なぜ閉経後に慢性痛が増える女性がいるのか――。これらの長年の疑問に光を当てるかもしれない、画期的な発見がありました。答えの鍵を握っていたのは、私たちの体にもともと備わっている「免疫細胞」と「女性ホルモン」の、これまで誰も知らなかった意外な連携プレーだったのです。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の研究チームが、痛みを感じる仕組みの常識を覆すかもしれない、新しいメカニズムを解き明かしました。科学者たちは、免疫細胞を介して作用する新しいメカニズムを発見し、慢性痛を治療するための異なる方法を示唆しました。UCSFの研究者たちによる新しい研究で、女性ホルモンが脊髄の近くにある免疫細胞にオピオイド(体内で作られる鎮痛物質)を産生させることで、痛みを抑制できることが明らかになりました。 これにより、痛み信号が脳に到達する前に阻止されます。この発見は、慢性痛に対する新しい治療法の開発に役立つ可能性があります。また、一部の鎮痛剤が男性よりも女性によく効く理由や、閉経後の女性がより多くの痛みを経験する理由を説明できるかもしれません。この研究は、炎症を軽減する能力で知られる制御性T細胞の全く新しい役割を明らかにしました。 「これらの細胞に、エストロゲンとプロゲステロンによって引き起こされる性別に依存した影響があり、それが免疫機能とは全く関係がないという事実は、非常に珍しいです」と、博士研究員のエロラ・ミダヴェーヌ博士(Elora Midavaine, PhD)は述べています。彼女は、アメリカ国立衛生研究所(NIH)から一部資金提供を受けたこの研究の筆頭著者です。この研究は2025年4月3日に科学誌「Science」に掲載されました。論文のタイトルは、「髄膜の制御性T細胞はメスマウスの侵害受容を抑制する(Meningeal Regul

B型肝炎ウイルス――この小さな侵略者は、世界で3億人もの人々の肝臓に静かに、しかし確実に感染を広げ、時には肝硬変や肝がんといった深刻な病気を引き起こします。ワクチンや治療薬は存在するものの、HBVが細胞の中でどのようにして生き続け、悪さをするのか、その巧妙な「隠れ蓑戦略」の全貌は長年謎に包まれていました。しかし、ついにその一端が明らかになりました。ロックフェラー大学などの共同研究チームが、HBVがまるで宿主の細胞核を「乗っ取る」かのように、自身の遺伝子を活性化させる驚くべきメカニズムを発見したのです。さらに興味深いことに、このウイルスの企みを阻止する鍵が、既存の抗がん剤候補薬にあるかもしれないというのです。2025年2月20日に権威ある科学誌「Cell」に掲載されたこの研究は、B型肝炎治療に新たな光を当てるかもしれません。論文タイトルは「A Nucleosome Switch Primes Hepatitis B Virus Infection(ヌクレオソームスイッチがB型肝炎ウイルス感染を準備する)」です。 「私たちは、HBV遺伝子制御のメカニズムに関する重要な詳細だけでなく、HBVに対する新しい治療ツールへの有望な道筋も発見できたことを大変嬉しく思います」と、ロックフェラー大学ゲノム構造・動態研究室長のヴィヴィアナ・I・リスカ 博士(Viviana I. Risca, PhD)は述べています。 鶏が先か、卵が先かの問題 B型肝炎感染は、生物学的なパラドックスを抱えています。研究によると、宿主細胞は、ウイルスタンパク質HBx(エイチビーエックス)によって宿主の防御が打ち消されない限り、ウイルスの遺伝子発現を停止させます。しかし、そのHBxタンパク質は、ウイルスの遺伝子発現なしには産生できません。これはまさに鶏が先か卵が先かの問題であり――HBxは自身を作り

いまだ世界中で猛威を振るう感染症、結核。その病原菌である結核菌は、咳やくしゃみによって空気中に放出された後、どのようにして過酷な環境を生き延び、次の人へと感染を広げていくのでしょうか? この「空中サバイバル術」の謎を解き明かすことは、結核の「感染の鎖」を断ち切る上で極めて重要です。マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが、この長年の疑問に迫る画期的な発見をしました。彼らは、結核菌が空中を漂う際に生存に不可欠となる一群の「サバイバル遺伝子」を特定。これらの遺伝子の多くは、これまで病気を引き起こす上では重要ではないと考えられていましたが、実は空気中での生存、つまり「感染力」にこそ深く関わっていたのです。この発見は、結核菌の弱点を突き、感染拡大そのものを防ぐ新しい治療薬開発への道を開くかもしれません。 2025年3月7日に「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences)」で発表されたこの研究は、結核との戦いに新たな光を当てるものです。論文タイトルは「Candidate Transmission Survival Genome of Mycobacterium tuberculosis(結核菌の伝播生存候補ゲノム)」です。 「病原体が空気中を循環する際に、これらの急激な変化をどのように生き延びるかという点で、私たちは空気感染に対して盲点を持っていました」と、MITの流体病原体伝播研究室長であり、土木環境工学および機械工学の准教授、そしてMIT医療工学・科学研究所のコアファカルティメンバーでもあるリディア・ブロイバ(Lydia Bourouiba)博士は述べています。「今、私たちはこれらの遺伝子を通じて、結核菌が自身を守るためにどのようなツールを使っているのか、その手がかりを得ました」。 「も

いつものレタスが、まるでスーパーフードに変身?そんな夢のような話が、遺伝子編集技術の力で現実になるかもしれません。ヘブライ大学エルサレム校の研究チームが、人気の野菜レタスの栄養価を劇的に向上させることに成功しました。彼らは、最先端のCRISPR遺伝子編集技術を駆使し、レタスが本来持つ遺伝子をわずかに調整するだけで、視力や免疫に重要なβ-カロテン(プロビタミンA: provitamin A)を2.7倍、目の健康を守るゼアキサンチンを大幅に、そして美肌や風邪予防に欠かせないアスコルビン酸(ビタミンC)をなんと6.9倍にも増やすことに成功したのです。しかも、見た目や味、育ち方は従来のレタスと変わらないというから驚きです。この「次世代レタス」は、世界中で問題となっている「隠れ飢餓」と呼ばれる微量栄養素の不足を解消する切り札となるかもしれません。 2025年3月3日に「Plant Biotechnology Journal article」誌に掲載されたこの研究は、アレクサンダー・ヴァインシュタイン教授(Alexander Vainstein)が主導し、単一の栄養素ではなく複数の栄養価を同時に高めるという画期的なアプローチで達成されました。論文タイトルは「Combined Enhancement of Ascorbic Acid, β-carotene and Zeaxanthin in Gene-Edited Lettuce(遺伝子編集レタスにおけるアスコルビン酸、β-カロテン、ゼアキサンチンの複合的増強)」です。 CRISPRは、DNAを編集するための強力かつ精密なツールです。外来DNAを導入する従来の遺伝子組換え(GMO: genetic modification)技術とは異なり、CRISPRは科学者が植物自身の遺伝コード内で標的を定めた変更を行うことを可能にします。こ

ついつい愛犬におやつをあげすぎてしまう…でも、もしかしたらその「食いしん坊」な性格、遺伝子が関係しているかもしれません。そして驚くべきことに、その遺伝子は私たち人間の肥満にも深く関わっている可能性があるのです。ケンブリッジ大学の研究チームが、人気犬種ラブラドール・レトリバーの肥満と遺伝子の関係を調査した結果、肥満に強く関連する「DENND1B(デンディーワンビー)」という遺伝子を発見しました。この遺伝子は人間にも存在し、やはり肥満との関連が示唆されています。DENND1B遺伝子は、脳内で食欲やエネルギー消費をコントロールする重要な経路に影響を与えることが判明。つまり、犬の肥満研究が、人間の肥満メカニズム解明の大きな手がかりとなるかもしれないのです。 2025年3月6日に科学誌「Science」に掲載されたこの研究は、種を超えた肥満の謎に迫る興味深い内容となっています。論文タイトルは「Canine Genome-Wide Association Study Identifies DENND1B As an Obesity Gene in Dogs and Humans(イヌのゲノムワイド関連解析によりDENND1Bをイヌとヒトにおける肥満遺伝子として同定)」です。 「これらの遺伝子は、体重減少薬の直接的な標的としてはすぐに明らかになるものではありません。なぜなら、これらは体内の他の重要な生物学的プロセスを制御しており、干渉すべきではないからです。しかし、この結果は、食欲と体重を制御する上で基本的な脳の経路の重要性を強調しています」と、ケンブリッジ大学生理学・発生・神経科学科のアリス・マクレラン博士(Alyce McClellan, PhD)は述べています。彼女はこの報告書の共同筆頭著者です。DENND1Bは、体内のエネルギーバランスを調節する役割を担う脳の経路であるレ

生命の設計図「ゲノム」を自在に編集する技術は、病気の治療から新品種の開発まで、私たちの未来を大きく変える可能性を秘めています。その代表格であるCRISPR技術に続き、新たな「ゲノム編集のスター候補」が登場しました。マサチューセッツ工科大学(MIT)とブロード研究所の科学者たちが、自然界の広大な遺伝情報の中から、古代のウイルスなどが持つユニークなDNA改変システム「TIGRシステム」を発見したのです。このTIGRシステムは、RNAを道しるべにDNAの特定の部分を狙い撃ちし、様々な操作を加えることができる「プログラム可能なタンパク質」。CRISPRよりもコンパクトで、部品交換のように機能を組み合わせやすいモジュール構造を持つため、治療応用へのハードルが低いと期待されています。2025年2月27日に科学誌「Science」で発表されたこの発見は、ゲノム編集ツールボックスに強力な新メンバーを加えることになるかもしれません。 論文タイトルは「TIGR-Tas: A Family of Modular RNA-Guided DNA-Targeting Systems in Prokaryotes and Their Viruses(TIGR-Tas:原核生物とそのウイルスにおけるモジュール型RNA誘導DNA標的化システムのファミリー)」です。研究を率いたMITのフェン・チャン博士(Feng Zhang, PhD)は、このシステムの多機能性と応用の広さに大きな期待を寄せています。特に、TIGRシステムを構成するTIGR関連(Tas)タンパク質は、RNAガイドと結合する部分とDNAを切断する部分などが独立しており、まるでレゴブロックのように機能を組み替えられるため、ツール開発を加速させる可能性があります。 「自然は実に素晴らしいものです」と、マクガヴァン研究所およびハワード・ヒュー

ストレス社会と言われる現代。同じ困難に直面しても、心が折れてしまう人と、しなやかに乗り越える人がいます。この「心の強さ(レジリエンス)」の違いは、一体どこから来るのでしょうか?カナダの研究チームが、その謎を解く鍵の一つを脳の中で見つけました。それは、脳を外部の有害物質から守る「血液脳関門」に存在する「カンナビノイド受容体1型(CB1: cannabinoid receptor type 1)」というタンパク質。なんと、このCB1受容体が、ストレスによる心の不調を防ぐ「門番」のような役割を果たしている可能性があるというのです。2025年2月27日に「Nature Neuroscience」誌で発表されたこの研究は、ストレスによる不安や抑うつ症状の新たな予防・治療法開発につながるかもしれません。 論文タイトルは「Astrocytic Cannabinoid Receptor 1 Promotes Resilience by Dampening Stress-Induced Blood–Brain Barrier Alterations(アストロサイトのカンナビノイド受容体1はストレス誘発性の血液脳関門変化を抑制することでレジリエンスを促進する)」です。研究リーダーであるラヴァル大学のキャロライン・メナール教授(Caroline Ménard)によると、慢性的なストレスはこの血液脳関門の機能を弱らせ、炎症を引き起こす物質の侵入を許し、結果として心の不調につながるといいます。 CB1受容体はニューロンに豊富に存在しますが、脳の血管とニューロン間のコミュニケーションを可能にする星形の細胞であるアストロサイトにも見られます。「アストロサイトは関門の不可欠な構成要素です」とメナール教授は説明します。「ストレスに強いマウスは、抑うつ様行動を示すマウスやストレスにさらされていないマウ

失われた視力を取り戻す――そんな願いを叶えるかもしれない「視細胞補充療法」。実験室で育てた視細胞(光受容細胞: photoreceptors)を移植するこの治療法は、網膜の病気で光を失った人々に希望を与えています。しかし、ヒトの細胞を使った治療法の開発には、動物実験での安全性の確認が不可欠です。ところが、ヒトの細胞は他の動物では拒絶されてしまうため、十分な検証が難しいという壁がありました。このジレンマを打ち破るため、ウィスコンシン大学マディソン校とモーグリッジ研究所の研究チームが、ヒトとよく似た網膜構造を持つ「ブタ」に注目。世界で初めて、ブタの幹細胞から実験室で「ミニ網膜(網膜オルガノイド: retinal organoids)」を作り出すことに成功しました。この「ブタ版ミニ網膜」は、ヒトの視細胞治療研究を大きく前進させ、将来的には失明治療の新たな道を切り開くかもしれません。 2025年3月6日に「Stem Cell Reports」誌で発表されたこの画期的な研究について、詳しく見ていきましょう。論文タイトルは「Robust Generation of Photoreceptor-Dominant Retinal Organoids from Porcine Induced Pluripotent Stem Cells(ブタ人工多能性幹細胞からの視細胞優位な網膜オルガノイドの頑健な作製)」です。研究を率いたウィスコンシン大学マディソン校マクファーソン眼研究所所長であり、眼科・視覚科学の教授でもあるデイビッド・ガム 医学博士(David Gamm, MD PhD)は、ブタのモデルがヒト治療薬開発の鍵となると期待を寄せています。 「ブタの網膜オルガノイドが作製されたのはこれが初めてです」と、ガム研究室の大学院生であり、本研究の筆頭著者であるキム・エドワーズ氏(Kim E

「統合失調症」と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか?実はこの病気、一人ひとり症状の現れ方が大きく異なり、まるで「万華鏡」のようです。ある人は幻覚に、ある人は思考の混乱に悩まされるなど、その複雑さが長年、治療の難しさにもつながっていました。「統合失調症は一つではない、多くの顔を持つ」。そんな考え方のもと、スイスの研究者たちが、世界規模の脳画像データを用いて、この症状の多様性が脳の「形」の違いとしてどのように現れるのかを明らかにしました。この発見は、画一的な治療から、一人ひとりの脳の特徴に合わせた「オーダーメイド治療」への道を開くかもしれません。 2025年2月26日に「American Journal of Psychiatry」誌に掲載されたこの研究は、チューリッヒ大学精神科病院のヴォルフガング・オムラー医学博士(Wolfgang Omlor, MD , PhD)らが主導し、論文タイトルは「Estimating Multimodal Structural Brain Variability in Schizophrenia Spectrum Disorders: A Worldwide ENIGMA Study(統合失調症スペクトラム障害におけるマルチモーダルな脳構造の多様性の推定:世界規模のENIGMA研究)」と題されています。研究チームは、それぞれの脳のタイプに最適な治療法を見つける精密医療(プレシジョン・メディシン)の実現には、脳の個人差と共通性の両面からのアプローチが不可欠だと強調しています。 患者の脳構造に関する包括的な国際研究 国際的な多施設共同研究において、オムラー博士とチューリッヒ大学の研究チームは、統合失調症患者の脳構造の多様性を調査しました。すなわち、どの脳ネットワークが高い個別性を示し、どの脳ネットワークが高い類似性を示すのか、とい

「体全体の健康」とは言うけれど、実は私たちの心臓や肺、肝臓といった臓器は、それぞれ独自のペースで歳を重ねているようです。そして驚くべきことに、その「臓器の年齢」を血液一滴から読み解き、将来の病気のリスクを予測する技術が現実のものとなりつつあります。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)を中心とする研究チームが発表した最新の研究では、特定の臓器の老化が、その臓器だけでなく全身のさまざまな病気、例えば肺がんや心臓病、さらには認知症のリスクとも関連していることが明らかになりました。これは、未来の健康診断のあり方を大きく変え、よりパーソナルな病気予防への道を開くかもしれません。2025年3月に「The Lancet Digital Health」誌に掲載されたこの研究について、詳しく見ていきましょう。 論文タイトルは「Proteomic Organ-Specific Ageing Signatures and 20-Year Risk of Age-Related Diseases: The Whitehall II Observational Cohort Study(プロテオミクスによる臓器特異的な老化シグネチャーと加齢関連疾患の20年リスク:ホワイトホールII観察コホート研究)」です。 筆頭著者であるUCL脳科学部のミカ・キヴィマキ教授(Mika Kivimaki)は、「私たちの臓器は統合されたシステムとして機能していますが、それぞれ異なる速度で老化することがあります。特定の臓器の老化は、数多くの加齢関連疾患の一因となる可能性があるため、健康のあらゆる側面に気を配ることが重要です」と述べています。 「私たちは、迅速かつ簡単な血液検査で、特定の臓器が予想よりも早く老化しているかどうかを特定できることを見出しました。将来、このような血液検査が多くの病気の予防に重要

言葉や学習の困難などを引き起こす遺伝性の自閉症スペクトラム障害、脆弱X症候群。この長年多くの人々を苦しめてきた病気に対し、光明が差し込むかもしれません。マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちが、20年以上にわたる探求の末、脳内の特定の「スイッチ」を操作することで、この病気の症状を改善する新たな方法を発見しました。まるで複雑なパズルのピースがはまるように、過去の研究成果と結びついたこの発見は、脳内のタンパク質合成のバランスを整え、神経細胞の働きを正常化させる可能性を秘めています。2025年2月20日にthe journal Nature Physics誌で発表されたこの研究は、NMDA受容体(NMDA receptors)と呼ばれる脳の重要な受容体の特定の部品(サブユニット)に注目。 この部品の働きを高めることで、脆弱X症候群モデルマウスの脳内で過剰になっていたタンパク質の大量生産を抑え、神経活動やけいれんの起こりやすさといった症状を改善することに成功しました。このオープンアクセス論文のタイトルは「Non-Ionotropic Signaling Through the NMDA Receptor Glun2b Carboxy-Terminal Domain Drives Dendritic Spine Plasticity and Reverses Fragile X Phenotypes(NMDA受容体GluN2Bカルボキシ末端ドメインを介した非イオンチャネル型シグナル伝達は樹状突起スパインの可塑性を駆動し脆弱X症候群の表現型を回復させる)」です。 研究の背景 「この研究で最も満足していることの一つは、パズルのピースがこれまでの研究成果と実に見事に合致したことです」と、本研究の責任著者であり、MIT脳・認知科学科のピカワープロフェッサーであるマーク

文字を読むのが難しい、書くのが苦手…もしかしたら、それは「ディスレクシア」かもしれません。しかし、この学習障害の「顔」は一つではなく、その定義も長年、専門家の間でも揺れ動いてきました。その結果、支援が必要な子供たちが適切なサポートを受けられなかったり、地域によって対応に差が出たりする「ディスレクシア格差」とも呼べる状況が生まれています。この見過ごせない問題に、英国の研究チームが一石を投じました。「まず、ディスレクシアとは何か、その共通理解から始めよう」。国際的な専門家たちの知恵を結集し、より正確で包括的な新しい定義を打ち立てたのです。この新たな定義が、ディスレクシアに悩む多くの人々とその家族にとって、より良い未来を切り開く第一歩となるかもしれません。バーミンガム大学などが参加したこの研究は、2025年2月25日発行の学術誌「The Journal of Child Psychology and The open-access article」に掲載されました。論文タイトルは「Toward a Consensus on Dyslexia: Findings from a Delphi Study(ディスレクシアに関するコンセンサスに向けて:デルファイ調査の結果)」です。 研究を主導したバーミンガム大学の教育心理学教授であるジュリア・キャロル氏(Julia Carroll)は、「2009年のローズ・レビュー以来、ディスレクシアを定義する新たな試みはなされていませんでした。このレビューは定義を提供し、ディスレクシアを特定し支援するための専門教員の必要性を主張しました。ローズ定義は実践に大きな影響を与えたものの、過去15年間にわたって批判を集め、普遍的に受け入れられているわけではありません」と述べています。 「これに加えて、イングランド、ウェールズ、北アイルランドでは、デ

「食べても食べても満腹にならない」「ダイエットしてもなかなか痩せない」――その原因は、あなたの体が「満腹ホルモン」の声を無視しているからかもしれません。世界中で深刻な問題となっている肥満。その大部分に関わっているのが、食欲を抑えるホルモン「レプチン」が効かなくなる「レプチン抵抗性」という状態です。なぜレプチンが効かなくなるのか? この長年の謎に、ロックフェラー大学の研究チームが光を当てました。彼らは、レプチン抵抗性の背後にある脳内のメカニズムを解明し、さらに驚くべきことに、古くから知られる薬剤「ラパマイシン」が、マウス実験でこの抵抗性を打ち破り、レプチンの働きを復活させることを発見したのです。これは、肥満治療の新たな突破口となるかもしれません。2025年3月4日に「Cell Metabolism」誌で発表されたこの研究は、レプチン発見から30年以上経て、その真の力を解き放つ可能性を示唆しています。論文タイトルは「A Cellular and Molecular Basis of Leptin Resistance(レプチン抵抗性の細胞および分子的基盤)」です。 「私たちの研究以前は、食事誘発性肥満マウスにおける肥満の原因は不明であり、レプチン抵抗性がどのように発症し、どのように覆すことができるのかという理解において、決定的なギャップが残っていました」と、共同筆頭著者であり、フリードマン研究室の大学院生であるボーウェン・タン氏(Bowen Tan)は述べています。 「ジェフリー・M・フリードマン博士(Jeffrey M. Friedman, PhD)が1994年にこの強力なホルモンを発見したにもかかわらず、肥満患者のほとんどがレプチンに対する抵抗性を獲得しているため、人々が体重を減らすのを助けるというその完全な可能性は実現されていませんでした」と、共同筆頭著者であり、

生まれたときから、世界は光と闇だけ――。そんな過酷な運命を背負った4人の幼い子供たちに、希望の光が差し込みました。英国の研究チームが開発した画期的な遺伝子治療により、子供たちは失われた視力を取り戻し、人生を大きく変えるほどの喜びを手にしています。この治療は、特定の遺伝子の欠陥によって引き起こされる重度の網膜の病気に苦しむ子供たちにとって、まさに奇跡とも言える進歩です。手術後、ある少年は踊りだし、数ヶ月後にはお気に入りの車を見分けられるようになったといいます。この記事では、不可能を可能にした遺伝子治療の最前線と、それによって開かれる未来の可能性に迫ります。 この治療は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)眼科研究所とムーアフィールズ眼科病院が、メイヤGTx社(MeiraGTx)の支援を受けて実施したものです。子供たちは、AIPL1遺伝子の希少な遺伝的欠損により、生まれつき重度の視覚障害を抱えていました。この網膜ジストロフィーの一種である状態は、光と闇を区別する程度の視力しか持たずに生まれてくることを意味します。遺伝子の欠陥により網膜細胞が機能不全に陥り死滅するため、影響を受けた子供たちは出生時から法的に失明と認定されます。この新しい治療法は、網膜細胞がより良く機能し、より長く生存できるように設計されています。UCLの科学者たちによって開発されたこの手法は、鍵穴手術を通じて目の奥にある網膜に正常な遺伝子のコピーを注入するというものです。これらのコピーは無害なウイルスに内包されており、網膜細胞に浸透して欠陥のある遺伝子を置き換えることができます。 この状態は非常に稀であり、最初に特定された子供たちは海外の子供たちでした。潜在的な安全性の問題を軽減するため、最初の4人の子供たちは片目のみにこの新しい治療を受けました。4人全員が、治療を受けた目でその後3~4年にわ

アルツハイマー病との闘いに、新たな希望の光が見えてきました。かつては診断も難しく、進行を止める手立ても限られていたこの病に対し、近年、検査法や治療法の開発が驚くべき速さで進んでいます。その最前線に立つ企業の一つが、アルツパス社(ALZpath Inc.)です。同社が開発した画期的な抗体は、血液一滴からアルツハイマー病の兆候を高精度かつ高感度に捉えることを可能にし、「診断の民主化」という大きな目標を掲げています。これは、高価で負担の大きかった従来の検査法に代わり、より多くの人々が早期に、そして手軽に検査を受けられる未来を意味します。この記事では、アルツハイマー病診断の新たな標準を目指すアルツパス社の挑戦と、その技術がもたらす可能性に迫ります。 アルツパス社は、血液によるアルツハイマー病の早期発見とモニタリングにおいてクラス最高レベルと確信する抗体を開発しました。この抗体は、確立されたアルツハイマー病バイオマーカーであるリン酸化タウ217(p-Tau217: phospho-Tau217)を標的としており、非常に高精度かつ高感度です。アルツパス社のp-Tau217抗体を用いた血液検査は、現在の標準的な検査法である陽電子放出断層撮影(PET: positron emission tomography)スキャンや脳脊髄液(CSF: cerebrospinal fluid)検査と比較して、比較的安価で、侵襲性が低く、実施が簡便で、大規模な実施にも容易に対応できると考えられています。アルツパス社のp-Tau217抗体を利用した、より広く利用可能で手頃な価格の血液検査の可能性は、早期診断とスクリーニングの支援にもつながるかもしれません。 2050年までに世界の認知症の罹患者数は約1億5000万人に達すると推定されており、アルツハイマー病がその最も一般的な形態です。現在の罹患者数と

生命の設計図、遺伝子。その情報が正しく使われるためには、細胞内で日々行われている「RNAスプライシング」という巧妙な“編集作業”が欠かせません。この作業では、遺伝情報が写し取られたメッセンジャーRNAから不要な部分(イントロン)が切り取られ、必要な部分だけが精密につなぎ合わされます。この重要なプロセスを司るのが「スプライソソーム」という巨大な分子機械です。今回、マサチューセッツ工科大学(MIT)の生物学者たちは、このスプライソソームの働きをさらに精密に制御する、これまで知られていなかった新たな調節メカニズムを発見しました。驚くべきことに、この仕組みはヒトの遺伝子の約半数に関与し、動物から植物に至るまで広く存在しているというのです。この発見は、生命の基本的な仕組みであるRNAスプライシングが、私たちの想像以上に複雑で洗練されたものであることを示しています。 「ヒトのようなより複雑な生物におけるスプライシングは、酵母のような一部のモデル生物におけるスプライシングよりも複雑です。これは非常に保存された分子的プロセスであるにもかかわらずです。ヒトのスプライソソームには、特定のイントロンをより効率的に処理するための『付加機能』のようなものがあります。このようなシステムの利点の一つは、より複雑なタイプの遺伝子調節を可能にすることかもしれません」と、MITの大学院生であり、この研究の筆頭著者であるコナー・ケニー氏(Connor Kenny)は述べています。 MITの生物学のアンカス・アンド・ヘレン・ウィタカー記念教授であるクリストファー・バージ博士(Christopher Burge, PhD)が、この研究の責任著者です。この研究は2025年2月20日に「ネイチャー・コミュニケーションズ」誌に掲載されました。このオープンアクセス論文のタイトルは「LUC7 Proteins Def

細胞という小さな宇宙で、生命活動を支える無数の働き者、タンパク質。その機能は「形」だけでなく、細胞内の「居場所」によっても大きく左右されることがわかってきました。まるで都市のように区画化された細胞内で、タンパク質が適切な場所に配置されなければ、その能力を十分に発揮できません。しかし、この「タンパク質の住所録」を予測することは、これまで非常に困難な課題でした。そんな中、ホワイトヘッド研究所とマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちが、タンパク質の「アミノ酸コード」からその細胞内局在を高精度に予測し、さらには特定の場所に集まる新しいタンパク質を設計までできる画期的なAIモデル「ProtGPS」を開発しました。これは、病気の理解や治療法開発に新たな道を開く可能性を秘めています。 細胞内は、生物学の教科書でおなじみの細胞小器官(オルガネラ)に加え、特定の分子を集めて共同作業を行わせる、膜のないダイナミックな区画も多数存在します。あるタンパク質がどこに局在し、何と一緒にいるかを知ることは、そのタンパク質の役割や、健康な細胞あるいは病気の細胞における働きをより深く理解する上で役立ちますが、これまではこの情報を系統的に予測する方法がありませんでした。 一方、タンパク質の構造は半世紀以上にわたって研究され、その集大成として人工知能ツールであるAlphaFoldが登場しました。AlphaFoldは、タンパク質のアミノ酸配列からタンパク質の構造を予測できます。AlphaFoldや同様のモデルは、研究において広く利用されるツールとなっています。 タンパク質には、決まった構造に折りたたまれないアミノ酸領域も含まれており、これらの領域はタンパク質が細胞内のダイナミックな区画に加わるのを助ける上で重要です。ホワイトヘッド研究所のメンバーであるリチャード・ヤング氏(Richard

大きな怪我や病気で皮膚や筋肉などの軟らかい組織が傷ついたとき、その修復は簡単ではありません。特に、糖尿病などによる慢性的な傷は治りにくく、高齢化社会でますます増えることが心配されています。そんな中、期待されているのが、細胞を植え付けた特殊な「布」を移植して組織の再生を促す治療法です。しかし、これまでの「布」は、私たちの体のようにしなやかに伸び縮みすることが苦手でした。無理に伸びると、せっかく植え付けた細胞が死んでしまい、治療の妨げになることも…。この大きな壁を打ち破るため、マサチューセッツ工科大学(MIT)リンカーン研究所とMITの研究者たちが、まるで人間の皮膚や筋肉のように「縮んだり折りたたまれたりして」動き、細胞にも優しい新しい「生体吸収性の布地」の開発に取り組んでいます。この「魔法の布」が、傷ついた組織を優しく包み込み、細胞を育てながら自然に体に吸収されていく、そんな未来の治療法が見えてきました。 有望な治療法の一つとして、生きた細胞を付着させた生体適合性材料(マイクロティッシュ: microtissue)を傷に移植する方法が注目されています。この材料は、幹細胞や他の前駆細胞が傷ついた組織へと成長し、修復を助けるための「足場」となります。しかし、現在の足場材料作製技術には、繰り返し起こる課題がありました。人間の組織は独特な動きや屈曲をしますが、従来の軟質材料ではこれを再現するのが難しく、足場が伸びると、埋め込まれた細胞も伸びてしまい、しばしば細胞死を引き起こしてしまうのです。死んだ細胞は治癒プロセスを妨げ、体内で意図しない免疫応答を引き起こす可能性もあります。 「人体には、実際には伸びるのではなく、縮んだり折りたたまれたりする階層構造があります」と、MITリンカーン研究所機械工学グループの研究者であるスティーブ・ギルマー博士(Steven Gillmer,

「今度こそタバコをやめたい!」そう思って禁煙治療薬を試したけれど、期待したほどの効果がなかった…そんな経験はありませんか? もしかしたら、その理由はあなたの「遺伝子」にあるのかもしれません。人気の禁煙治療薬「バレニクリン」は、多くの人の禁煙を助けてきましたが、すべての人に同じように効くわけではありませんでした。この長年の疑問に、イギリスの研究者たちが新たな光を当てました。レスター大学の研究チームは、個人のDNAの違いがバレニクリンの効果にどう関わっているのか、その手がかりを発見したのです。この発見は、より個人に合わせた効果的な禁煙治療法の開発につながるかもしれません。 バレニクリンは間もなく、英国の国民保健サービス(acronym: NHS, National Health Service)を通じて再び喫煙者に提供される予定です。この薬は脳内の特定の受容体に作用し、喫煙による満足感を抑え、渇望感を軽減します。今回の研究では、国際的なチームが電子カルテを活用し、バレニクリンによる禁煙の成否と遺伝子の関連を調査する方法を編み出しました。 この方法は、英国ミッドランズ地方のレスターシャーおよびラトランドに住む人々で、EXCEED(健康、環境、DNAのための拡張コホート)研究(acronym: EXCEED, Extended Cohort for E-health, Environment and DNA)に参加している人々の診療記録に適用されました。また、この方法は、遺伝子データも収集している他の国内外のコホート研究でも実施されました。 これまでで最大規模となるこの種の研究で、研究チームは遺伝子解析を行い、個人の遺伝暗号の違いがバレニクリン治療の成功率の違いを説明できるかどうかを調査しました。 2025年1月10日にNicotine and Tobacco R

忍び寄るアルツハイマー病の不安。しかし、もし一滴の血液で、もっと早く、もっと正確にその兆候を捉えられるとしたら? そんな未来を現実にするかもしれない画期的な研究成果が発表されました。アルツハイマー病(AD)診断のための血液バイオマーカー開発をリードするニューロコードUSA社(Neurocode USA Inc)が、2025年1月28日、注目のリン酸化タウ217(pTau217)血液検査法の比較研究結果を公開しました。特に同社が米国で唯一臨床提供するALZpathアッセイは、病気の超初期段階での優れた診断精度を示し、アルツハイマー病診断の新たな地平を切り開く可能性を秘めています。pTau217はアルツハイマー病のアミロイド病理に関連する重要なバイオマーカーであり、この高精度な血液検査は、診断を大きく変えるものと期待されています。ニューロコード社は、このALZpath pTau217アッセイを臨床用自社開発検査(LDT: laboratory developed test)として提供しています。 この研究では、両アッセイがAD検出において確かな臨床性能を示すことが強調されています。しかし、調査結果からは、ALZpathアッセイが、特に効果的な介入のために早期発見が極めて重要な病気の進行初期段階において、より優れた診断精度を提供することが明らかになりました。 ニューロコード社のCSOであるハンス・フリックマン博士(Hans Frykman)は、「アルツハイマー病の早期かつ正確な診断は、患者さんの予後を改善するための基礎となります」と述べています。「この研究は、ニューロコード社のALZpath pTau217アッセイの卓越した能力と、アルツハイマー病診断を変革する上でのその役割を明確に示しています」。 2025年1月16日に「アルツハイマーズ&デメンティア:診断、評価、疾

映画「ファインディング・ニモ」でお馴染みのカクレクマノミとイソギンチャク。毒を持つ触手の中でなぜカクレクマノミだけが安全に暮らせるのか、不思議に思ったことはありませんか?この100年来の謎がついに解き明かされました!沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームが、カクレクマノミが持つ驚くべき「秘密のバリア」の正体を突き止めたのです。彼らがいかにしてイソギンチャクの「ハグ」を無害化しているのか、その巧妙な生存戦略に迫ります。 カクレクマノミ(アネモネフィッシュ)とイソギンチャクの共同生活は、共生の最も広く知られた例の一つです。研究者たちは、アネモネフィッシュがイソギンチャクの毒のある触手に刺されることなく安全に生活できる仕組みを理解する上で画期的な進歩を遂げ、一世紀にわたる謎を解明しました。沖縄科学技術大学院大学(OIST)の科学者たちと国際的な共同研究者たちは、アネモネフィッシュ(カクレクマノミ)が、宿主であるイソギンチャクの刺胞細胞(nematocysts (stinging cells))の放出を引き起こさないように、皮膚粘液中のシアル酸のレベルを非常に低く維持するように進化してきたことを発見しました。研究者たちは、イソギンチャク自身も自己を刺すことを避けるためか、自身の粘液中にこれらの糖化合物を持たないことを見出しました。彼らの発見は、BMC Biology誌に掲載され、アネモネフィッシュが宿主と類似した保護戦略を用いている可能性を示唆しています。2025年2月15日に公開されたオープンアクセス論文のタイトルは「Anemonefish Use Sialic Acid Metabolism As Trojan Horse to Avoid Giant Sea Anemone Stinging(アネモネフィッシュは巨大イソギンチャクの刺胞を回避するためにシアル酸代

私たちヒトが、他の動物と一線を画す「言葉」。その起源は、いまだ多くの謎に包まれています。夕焼けの美しさを語り、遠い水源への道を教え合う複雑なコミュニケーションは、本当にホモ・サピエンスだけの特権なのでしょうか? 近年、私たちの「言葉」の進化に光を当てるかもしれない、あるタンパク質の「ヒト特有のカタチ」が注目されています。ロックフェラー大学の研究チームが、このタンパク質の謎に迫り、マウスを使った実験で驚くべき結果を得ました。もしかしたら、この小さな違いが、私たちが言葉を獲得する上で大きな一歩となったのかもしれません。2025年2月18日にNature Communications誌で発表された、ロックフェラー大学のロバート・B・ダーネル(Robert B. Darnell)医学博士の研究室によるこの画期的な研究は、神経発達に重要な役割を果たす脳内RNA結合タンパク質(acronym: RNA binding protein)「NOVA1」のヒト特異的な変異体に焦点を当てています。研究チームがこのヒト型NOVA1をマウスに導入したところ、マウスたちの「会話」に変化が現れたのです。 この研究論文のタイトルは「A Humanized NOVA1 Splicing Factor Alters Mouse Vocal Communications(ヒト化NOVA1スプライシング因子はマウスの発声コミュニケーションを変化させる)」です。この研究では、このNOVA1の変異体が、私たちの祖先と交配し、現代人のゲノムにもその痕跡を残している古代型人類であるネアンデルタール人やデニソワ人には見られないことも確認されました。 分子神経腫瘍学研究室を率いるダーネル博士は、「この遺伝子は、初期現生人類における広範な進化的変化の一部であり、話し言葉の古代の起源を示唆しています」と述べています。

「最近、小さい文字が見えにくくなった…」多くの人が経験する視力の変化。でも、なぜ同じように歳を重ねても、目の老化の進み具合には個人差があるのでしょうか?もしかしたら、その答えはあなたの遺伝子にあるかもしれません。さらに、目の老化具合を調べることで、アルツハイマー病のような脳の病気のリスクまで予測できるとしたら…?ジャクソン研究所(JAX)の最新研究が、そんな未来への扉を開くかもしれません。マウスを使った画期的な研究から見えてきた、目の老化と遺伝、そして脳の健康との驚くべきつながりをご紹介します。 視力の変化は避けられない老化の一部ですが、なぜ一部の人々は加齢に伴う眼疾患にかかりやすく、また、なぜ一部の人々は他の人々よりも深刻な衰えを経験するのでしょうか?ジャクソン研究所(The Jackson Laboratory (JAX))からの新しい研究は、遺伝子が目の老化に重要な役割を果たしており、異なる遺伝的背景が網膜老化に異なる形で影響を与えることを明らかにしています。Molecular Neurodegeneration誌に掲載されたこの研究は、人間に見られる遺伝的多様性を模倣した9系統のマウスの網膜における遺伝子とタンパク質の加齢に伴う変化を調査しました。全てのマウスが予想される老化の兆候を示しましたが、これらの変化の重症度と性質は9系統間で著しく異なりました。2025年1月20日に公開されたオープンアクセス論文のタイトルは「Genetic Context Modulates Aging and Degeneration in the Murine Retina(遺伝的背景はマウス網膜における老化と変性を調節する)」です。 目の老化をモデル化するためのより正確なアプローチ 従来、網膜老化と疾患の研究は、遺伝的に同一なマウスの単一系統に依存しており、遺伝的変

海のハンター、イモガイ。その強力な毒は、獲物を仕留めるための恐ろしい武器ですが、実はその毒から新しい薬が生まれる可能性を秘めていることをご存知でしょうか?しかし、毒が体内の何に作用するのか(標的)を正確に知ることは、安全で効果的な薬を作るための大きな課題です。イスラエルの科学者たちは、この難問を解決するため、なんと人工知能(AI)と伝統的な研究手法を融合させた画期的な手法を開発しました。イモガイ毒素の謎に迫る最新の研究が、未来の創薬や生態系研究にどんな光を投げかけるのでしょうか? 科学者が農業、種管理、あるいは救命薬の目的で新しい分子を開発する際、その標的が何であるかを正確に知ることが重要です。分子の意図された相互作用と意図しない相互作用の両方を徹底的に理解することは、その安全性と有効性を確保するために不可欠です。昆虫と魚の両方に影響を与えることが知られているあるイモガイ毒素n)は、ワイツマン科学研究所の科学者たちに、分子標的を見つける新しい方法を開発するきっかけを与えました。彼らは、人工知能と従来の研究手法を組み合わせることで、天然毒素がどのタンパク質に影響を与えるかを予測できるパイプラインを構築しました。この成果は、生態学的研究と創薬開発の両方に影響を与える可能性があります。この研究は、2025年2月15日から19日にロサンゼルスで開催された第69回生物物理学会年会で発表されました。 イスラエルのワイツマン科学研究所の科学者であるイツハル・カルバット博士(Izhar Karbat, PhD)とエイタン・レウベニ博士(Eitan Reuveny, PhD)は、イモガイの獲物である魚に、イモガイ毒素の一種であるコンクニチン-S1(acronym: Cs1, Conkunitzin-S1)がどのように影響を与えるかを解明したいと考えていました。Cs1は、細胞機能に不

私たち人間を人間たらしめる複雑な思考や認知機能。その源である脳の進化について、これまでの常識を覆すかもしれない驚きの発見がありました。鳥と哺乳類は、脳の重要な部分である「外套」が、それぞれ全く異なる道のりを辿って進化したというのです。同じ祖先から枝分かれしたのではなく、別々に賢い脳を手に入れたのでしょうか?この謎めいた進化の物語を、アチュカロ・バスク神経科学センターおよびバスク大学のイケルバスケ研究者が主導し、Science誌に掲載された2つの研究から紐解いていきましょう。 外套は、哺乳類において新皮質が形成される脳領域であり、人間を他の種から最も区別する認知機能や複雑な機能を担う部分です。伝統的に、外套は哺乳類、鳥類、爬虫類の間で比較可能な構造であり、複雑さのレベルが異なるだけだと考えられてきました。この領域には類似したニューロンタイプが存在し、感覚処理や認知処理のための同等の回路があると想定されていました。これまでの研究では、共通の興奮性ニューロン(excitatory neurons)および抑制性ニューロン(inhibitory neurons)の存在や、これらの脊椎動物種における類似した進化経路を示唆する一般的な接続パターンが特定されていました。しかし、今回の新たな研究により、これらのグループ間で外套の一般的な機能は同等であるものの、その発生メカニズムとニューロンの分子的アイデンティティは進化の過程で実質的に分岐していることが明らかになりました。 最初の研究は、アチュカロ・バスク神経科学センターのエネリッツ・ルエダ=アラニャ氏(Eneritz Rueda-Alaña)とフェルナンド・ガルシア=モレノ博士(Fernando García-Moreno)が、バスクの研究センターであるCICバイオグネ(CICbioGUNE)およびBCAM(バスク応用数学センター

敵か味方か?カビ感染が免疫系を欺き、脳細胞を破壊させるメカニズムを解明 私たちの免疫システムは、体を守るための精鋭部隊です。しかし、もしその部隊が敵の策略にはまり、自らの「城」、つまり脳を攻撃し始めたらどうなるでしょうか?驚くべきことに、ある種のカビ(真菌)に感染すると、ショウジョウバエの免疫系が自身の脳細胞を破壊し、神経変性のような兆候を引き起こすことが新たな研究で明らかになりました。この発見は、感染症がどのようにして脳に影響を与えるか、そして免疫系が時に予期せぬ振る舞いをするのかについて、新たな視点を提供します。 真菌感染が、ショウジョウバエ自身の免疫系を引き金にして脳細胞を破壊させ、神経変性(neurodegeneration)の兆候につながることが、新しい研究で示されました。2025年2月13日にPLOS Biology誌に掲載されたこの論文によると、ボーベリア・バシアーナ(Beauveria bassiana, B. bassiana)と呼ばれる真菌が、ショウジョウバエの自然免疫系に、脳内のニューロンとグリア細胞(glia)を殺すプロセスを引き起こさせることがわかりました。これにより、感染したショウジョウバエの半数以上が7日後に死亡したのに対し、対照群の半数は約50日間生存しました。このオープンアクセスの論文タイトルは「Toll-1-Dependent Immune Evasion Induced by Fungal Infection Leads to Cell Loss in the Drosophila Brain(真菌感染によって誘導されるToll-1依存性の免疫回避がショウジョウバエ脳における細胞喪失を引き起こす)」です。 英国バーミンガム大学の研究チームが行った実験では、ショウジョウバエが感染チャンバー内でボーベリア・バシアーナに曝露されま

免疫系の「諸刃の剣」? 100年来の定説を覆す発見が自己免疫疾患治療に新たな光 私たちの体には、病原体などの脅威から身を守るための精巧な免疫システムが備わっています。その中でも「補体系」は、100年以上前に発見された、感染や組織損傷の兆候をパトロールするタンパク質群からなる強力な防御メカニズムです。しかし、この頼もしいはずの補体系が、時として自身の組織を攻撃してしまうことがあるのはなぜでしょうか?この度、マス・ジェネラル・ブリガムの研究者たちは、「グランザイムK(GZMK: granzyme K)」と呼ばれるタンパク質が、補体系を活性化させ、自身の組織に対する炎症や損傷を引き起こすという驚くべき事実を発見しました。この発見は、補体系に関する長年の理解を覆すだけでなく、自己免疫疾患や炎症性疾患の新たな治療法開発への扉を開くものです。 私たちの免疫システムは、有害な脅威を検知し排除するために設計された様々な防御機構を備えています。その最も強力な防御メカニズムの一つが補体系です。これは、私たちの体をパトロールし、感染や損傷の兆候を常に警戒しているタンパク質群です。補体系が最初に記述されてから100年以上が経過した今、マス・ジェネラル・ブリガムの研究者たちは、グランザイムK(GZMK)として知られるタンパク質が、補体系を自身の組織に対して活性化させることにより、組織損傷と炎症を引き起こすことを発見しました。彼らの発見は、補体系に関する世紀を超えた理解を再構築するだけでなく、自己免疫疾患や炎症性疾患の患者において、この有害な経路を特異的に遮断できる可能性のある治療法への新たな道を開くものです。この研究成果は、2025年2月6日にNature誌に掲載されました。論文タイトルは「Granzyme K Activates the Entire Complement Cascade(

マラリアとの闘いに光明:薬剤耐性の謎を解く包括的遺伝子マップが完成 マラリアは、今なお世界中で多くの命を脅かす感染症です。特に、治療薬への耐性を持つマラリア原虫の出現は、深刻な問題となっています。しかし、この困難な状況に立ち向かうための画期的な研究成果が発表されました。ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院の研究チームが、人獣共通感染症マラリアを引き起こす「ノウレシマラリア原虫」の包括的な遺伝子マップを作成したのです。このマップは、薬剤耐性の仕組みを解き明かし、新たな治療法開発への道を拓く可能性を秘めています。一体どのような発見があったのでしょうか? 人獣共通感染症マラリアの原因となるノウレシマラリア原虫(Plasmodium knowlesi, P. knowlesi)の包括的な遺伝子マッピングにより、血液感染に必要な遺伝子と薬剤耐性を引き起こす遺伝子が明らかになりました。 このマップは、創薬可能な特定の標的と耐性の決定因子を特定することで、新しい治療法の開発に役立つ知見を提供します。 ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院の研究者らは、ヒトにマラリアを引き起こす寄生虫であるノウレシマラリア原虫(P. knowlesi)の血液感染に必須な全遺伝子の新しい包括的なマップを作成しました。このマップは、これまでに報告されたどのマラリア原虫(Plasmodium)種よりも完全な必須遺伝子の分類を含んでおり、創薬可能な寄生虫の標的や薬剤耐性のメカニズムを特定するために利用できます。これは、マラリアの新しい治療法の開発に情報を提供するものです。 「私たちの発見が、マラリア研究と制御の分野における大きな一歩となることを願っています」と、共同責任著者であるマノージ・ドライシング博士(Manoj Duraisingh, PhD)、ジョン・ラポート・ギブン記念免疫

「あの人、知らないんだな」 ボノボは相手の心を読んで協力する? 『あ、あの人、知らないんだな』——相手が何かを知らないことに気づき、それを補うようにコミュニケーションをとる。これは、私たちが協力し合ったり、教え合ったりする上で欠かせない、高度な能力だと考えられてきました。もしかしたら、人間だけの特別な力なのかもしれない、と。しかし、驚くべきことに、私たちの最も近縁な親戚である類人猿ボノボも、この能力を持っている可能性を示す研究結果が発表されました。ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームが行った巧妙な実験は、ボノボが人間の「知らない状態」を察知し、チームワークのために積極的に情報を伝えようとすることを示唆しています。 これは、人間と類人猿の間に横たわる知性の深いつながり、そしてその進化の歴史に光を当てる発見かもしれません。 おやつをもらうため、類人猿はそれらがどこにあるか知らない人間に対して熱心に指差しをしました。この一見単純な実験は、類人猿がチームワークの名の下に未知の情報を伝達することを初めて実証しました。この研究はまた、類人猿が他者の無知(知らない状態)を直感的に理解できるという、これまで人間特有と考えられてきた能力に関する、現在までで最も明確な証拠を提供します。ジョンズ・ホプキンス大学の社会・認知起源グループ(Social and Cognitive Origins Group)の研究者によるこの研究は、2025年2月3日にPNAS誌(米国科学アカデミー紀要)に掲載されました。このオープンアクセスの論文タイトルは「Bonobos Point More for Ignorant Than Knowledgeable Social Partners(ボノボは知識のある社会的パートナーよりも無知なパートナーに対してより多く指差しをする)」です。 「お互いの知識のギ

汗で健康を常時チェック! ナノ粒子を印刷して作る次世代ウェアラブルセンサー 一人ひとりの体調を正確に把握し、最適な栄養素や薬を届ける「個別化医療」。それは未来の医療の姿として、大きな期待が寄せられています。しかし、その実現には、体の中の状態を示す「バイオマーカー」を、リアルタイムで、しかも継続的に測る方法が必要不可欠でした。汗をかく、服を着る、そんな日常の中で健康状態をずっと見守れたら…?カリフォルニア工科大学(Caltech)のエンジニアチームが、そんな未来を一歩近づける画期的な技術を開発しました。特殊なナノ粒子をインクジェット印刷することで、まるでシールのように身につけられる汗センサーを大量生産する道を拓いたのです。 このセンサーは、私たちの健康状態を、より手軽に、より深く知るための新しいツールとなるかもしれません。ビタミン、ホルモン、代謝物、薬剤など、様々なバイオマーカーをリアルタイムで監視し、患者とその医師が分子レベルの変化を継続的に追跡することを可能にします。この新しいナノ粒子を組み込んだウェアラブルバイオセンサーは、カリフォルニア州ドゥアルテのシティ・オブ・ホープ(City of Hope)において、COVID後遺症(ロングCOVID)に苦しむ患者の代謝物モニタリングや、がん患者の化学療法薬レベルのモニタリングに成功裏に使用されています。 「これらは可能性のほんの一例に過ぎません」と、カルテック(Caltech)のアンドリュー・アンド・ペギー・チャン医用工学部門(Andrew and Peggy Cherng Department of Medical Engineering)の医用工学教授であるウェイ・ガオ博士(Wei Gao, PhD)は述べています。「これらのセンサーによって、多くの慢性疾患とそのバイオマーカーを継続的かつ非侵襲的に監視できる可能

遺伝子治療の新たな扉を開くか? 超小型CRISPRが筋肉への「運び屋」問題を解決へ 遺伝子の異常によって引き起こされる病気を、根本から治す。そんな夢のような治療法として期待されているのが「遺伝子編集」技術です。しかし、この革新的な技術を体の特定の場所に安全かつ効率的に届けることは、大きな壁となって立ちはだかっていました。特に、肝臓以外の組織、例えば筋肉などに治療薬を届けるのは非常に困難でした。今回、画期的な次世代CRISPRプラットフォームを持つバイオテクノロジー企業、Mammoth Biosciences社が、この課題を打ち破る可能性のあるプレクリニカル研究の結果を発表しました。彼らが開発した「NanoCas™」と呼ばれる超小型の新しいCRISPRシステムは、たった1つの運び屋で、これまで難しかった筋肉組織での遺伝子編集を可能にするかもしれません。これは、遺伝子治療の新たな扉を開く可能性を秘めた、注目の成果と言えるでしょう。 2025年1月31日、独自の次世代CRISPR遺伝子編集プラットフォームを活用し、一回投与での根治療法創出を目指すバイオテクノロジー企業、Mammoth Biosciences社(Mammoth Biosciences, Inc.)は、プレプリントサーバーbioRxivで公開された新しい前臨床研究を発表しました。この研究は、NanoCas™の概念実証(proof-of-concept)を確立するものです。NanoCas™は、単一のアデノ随伴ウイルスベクター(AAV: adeno-associated viral vector)を用いて全身投与した場合に、効率的な肝外編集が可能な初の超小型CRISPRシステムです。プレプリントのタイトルは「Single-AAV CRISPR Editing of Skeletal Muscle in Non-H

細胞の門番は、どうやって持ち場に戻るのか? 最新技術が解き明かすタンパク質リサイクルの仕組み 私たちの体を作る細胞の中では、日々、生命活動に不可欠な物質のやり取りが絶えず行われています。特に細胞の「門番」とも言える表面のタンパク質は、必要なものを取り込み、情報を伝える重要な役割を担っています。しかし、一度細胞内に取り込まれたタンパク質が、どうやって再び表面に戻ってくるのでしょうか? その巧妙な「リサイクル」の仕組みは、長年、細胞生物学の大きな謎の一つでした。今回、UTサウスウェスタンメディカルセンターの研究チームが、その謎を解き明かす鍵となる発見をしました。彼らは最先端の技術を駆使して、タンパク質が細胞表面へ帰還する重要なメカニズムを分子レベルで明らかにしたのです。この発見は、神経疾患やがんなどの治療法開発にも繋がる可能性を秘めています。 UTサウスウェスタンメディカルセンターの研究者を中心とするチームが、細胞内のエンドソームリサイクリングを担う重要なメカニズムを特定しました。このプロセスは人の健康に不可欠なものです。2024年11月25日にNature Communications誌に掲載されたこの研究成果は、細胞生物学における基本的な問いに答え、神経疾患やがんを含む疾患の治療法につながる可能性があります。このオープンアクセスの論文タイトルは「Structural Basis for Retriever-SNX17 Assembly and Endosomal Sorting(リトリーバー-SNX17複合体の形成とエンドソームソーティングの構造基盤)」です。 「私たちの研究は、タンパク質がエンドソームから細胞膜(形質膜)へとどのようにリサイクルされるかを理解する上で、大きな進歩です」と、UTサウスウェスタンの内科学(Internal Medicine)および免疫

世界で人気のカフェイン飲料「マテ茶」のゲノム解析で、カフェイン合成の進化に新たな知見 マテ茶(イレックス・パラグアリエンシス:Ilex paraguariensis)は、紅茶やコーヒーと並び、世界で最も人気のあるカフェイン飲料のひとつです。南米では広く消費されており、この驚くべき植物は多様な生理活性化合物を豊富に含んでおり、さまざまな健康効果をもたらすとされています。このたび、国際的な研究者チームがマテ茶のゲノムを解読し、カフェインの生合成に関する新たな知見を得ました。この情報は、特性の異なる新品種の開発に活用できる可能性があります。この研究はブエノスアイレス大学を中心に行われ、欧州分子生物学研究所(EMBL)ハンブルク支部や、アルゼンチン、ブラジル、アメリカ合衆国の複数の研究機関の科学者らも参加しました。成果は2025年1月8日付で『eLife』に掲載され、論文タイトルは「Yerba Mate (Ilex paraguariensis) Genome Provides New Insights Into Convergent Evolution of Caffeine Biosynthesis(マテ茶(Ilex paraguariensis)のゲノムが示すカフェイン生合成の収束進化に関する新たな知見)」です。 マテ茶におけるカフェインの進化 マテ茶の遺伝的特性を明らかにするため、科学者らはゲノム解析を用いました。これにより、植物の生化学的特性や進化の歴史、特にカフェイン生合成の進化に関する驚くべき事実が明らかになりました。 「マテ茶の祖先はおよそ5,000万年前にゲノムを重複させていたことを発見しました」と、今回の論文の筆頭著者であり、EMBLハンブルクのポスドク研究員であるフェデリコ・ヴィニャーレ博士(Federico Vignale PhD)は語ります。

DNA複製は、体内のあらゆる場所で絶え間なく行われており、1日に何兆回も繰り返されている現象です。細胞が分裂するたびに——それが損傷した組織を修復するためであれ、古くなった細胞を置き換えるためであれ、あるいは単に身体の成長を助けるためであれ——DNAはコピーされ、新しい細胞が同じ遺伝情報を保持できるようになります。しかし、この人間生物学の基本的側面は、これまであまり理解されていませんでした。その主な理由は、科学者らがこの複雑な複製の過程を間近で観察する手段を持っていなかったからです。これまでの試みは、DNA構造を損なう化学物質を用いたり、ごく短いDNA断片しか観察できなかったりと、全体像を捉えるには不十分なものでした。 2025年1月9日に『Cell』誌に掲載された新しい研究で、グラッドストーン研究所(Gladstone Institutes)の科学者らは、この課題を解決するための大きな進展を遂げました。彼らは、長鎖DNAシーケンシング(long-read DNA sequencing)と予測型人工知能モデルを組み合わせた新手法を開発し、DNA複製によって新たに形成されたDNAがその後の数分から数時間にわたってどのような変化を辿るのかについて新たな知見を提供しました。 このオープンアクセスの論文「The Single-Molecule Accessibility Landscape of Newly Replicated Mammalian Chromatin(新たに複製された哺乳類クロマチンにおける単一分子レベルでのアクセシビリティ地図)」は、『Cell』誌のオンライン版に掲載されており、著者にはメーガン・オストロウスキ(Megan Ostrowski)、マーティ・ヤン(Marty Yang)、コリン・マクナリー(Colin McNally)、ヌール・アブドゥルヘ

Gladstone研究所とSanBio社、幹細胞の改変により脳活動の回復を確認―脳卒中から1か月以上経過後でも効果あり アメリカでは40秒に1人が脳卒中を発症しています。最も一般的なタイプである虚血性脳卒中の生存者のうち、完全に回復するのはわずか約5%です。多くの患者は、長期にわたる筋力低下、慢性疼痛、またはてんかんといった後遺症に苦しみ続けます。このたび、グラッドストーン研究所と再生医療企業SanBio社の科学者らは、幹細胞に由来する細胞治療が、脳卒中後に失われた正常な脳活動のパターンを回復させることを示しました。多くの脳卒中治療は発症直後の数時間以内に投与される必要がありますが、本研究で用いられた細胞治療は、発症から1か月後にラットへ投与しても有効であることが確認されました。 「現在、脳卒中発症から数週間や数か月後に投与できる治療法は存在しないため、これは非常に画期的です。」と述べるのは、本研究を主導したグラッドストーン研究所のジーン・パズ博士(Jeanne Paz, PhD)です。論文は『Molecular Therapy』誌に掲載されました。 「今回の発見は、このタイミングでも介入によって改善が可能であることを示唆しています。」 本研究は、オープンアクセス論文「Modified Human Mesenchymal Stromal/Stem Cells Restore Cortical Excitability After Focal Ischemic Stroke in Rats(改変ヒト間葉系幹細胞によるラット焦点性虚血性脳卒中後の大脳皮質興奮性の回復)」として、2024年12月11日に発表されました。 著者には、グラッドストーン研究所のアグニェシュカ・シェシエルスカ(Agnieszka Ciesielska)、ジェレミー・フォード(Jeremy

世界センザンコウの日によせて:最新ゲノム研究が照らす、絶滅危機にあるセンザンコウの未来 うろこに覆われた唯一の哺乳類、センザンコウ。そのユニークな見た目は、写真を見れば「かわいい!」と思わず声が出てしまうほど魅力的です。しかし、愛らしいだけでなく、センザンコウは生態系において非常に重要な役割を担っています。そんな彼らが持つもう一つの「ユニークな特徴」、それは世界で最も多く密猟・密輸されている野生動物であるという悲しい現実です。過去20年間で90万頭以上が犠牲となり、その多くは伝統薬の材料として肉やうろこが高値で取引されるためです。この結果、多くのセンザンコウ種が絶滅の淵に立たされており、特にマレーセンザンコウとチュウゴクセンザンコウは深刻な生存の危機に直面しています。これらの種は、2014年以来、国際自然保護連合(acronym: IUCN)のレッドリストで「深刻な危機にある」とされています。 2月15日の「世界センザンコウの日」に合わせ、これらのセンザンコウ種に関する高品質なゲノムデータを示す新しい研究が発表され、マレーセンザンコウとチュウゴクセンザンコウの遺伝的脆弱性と絶滅リスクに光を当てています。この研究は、国家林業草原局センザンコウ保護研究センターのヤン・フア氏(Yan Hua)のチーム、東北林業大学のティアンミン・ラン教授(Tianming Lan)のチーム、そしてBGI深圳のチーイェ・リー氏(Qiye Li)が参加する中国の科学者たちによる共同研究の成果です。この研究成果は、オープンサイエンスジャーナル『GigaScience』に掲載されました。このオープンアクセス論文のタイトルは「「Enhancing Inbreeding Estimation and Global Conservation Insights Through Chromosome-Le

UCSFの研究者ら、妊娠初期に活性化しマウスの出産時期に影響する分子タイマーを発見 一般的な人間の妊娠期間は40週とされていますが、多くの親がご存じのように、これはあくまで目安に過ぎません。赤ちゃんは予測困難なタイミングで生まれることが多く、正常な妊娠期間は38週から42週の範囲とされています。また、全出産の10%は在胎37週未満の「早産」に該当し、この場合、さまざまな合併症のリスクが高まります。このたび、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の研究者らは、マウスにおいて出産時期の制御に関与する「分子タイマー」を発見しました。驚くべきことに、このタイマーは妊娠の最初の数日に子宮内で活性化されます。もし同様の分子機構がヒトにも当てはまるとすれば、早産リスクのある女性を特定するための新しい検査法や、そのリスクを軽減する介入手段の開発につながる可能性があります。 「早産は世界的に非常に大きな問題ですが、そのメカニズムは長らく不明でした。我々の研究が、その根本的な仕組みに光を当てるきっかけになればと願っています。」と語るのは、UCSF臨床検査医学教授であり、本研究の責任著者であるエイドリアン・アールバッカー博士(Adrian Erlebacher MD, PhD)です。本研究成果は2025年1月21日付で『Cell』誌に掲載されました。論文タイトルは「KDM6B-Dependent Epigenetic Programming of Uterine Fibroblasts in Early Pregnancy Regulates Parturition Timing in Mice(妊娠初期における子宮線維芽細胞のKDM6B依存性エピジェネティックプログラミングがマウスの出産時期を制御する)」です。 妊娠中のDNAパッケージング 妊娠を通じて、女性の

米国国立衛生研究所(NIH)の支援による臨床試験が、デング熱の影響に苦しむ人々を助けるための実験的治療法を検証しています。デング熱は蚊が媒介するウイルス性疾患です。本研究はNIHの一機関であるアレルギー・感染症研究所(NIAID)により支援されており、成人ボランティアに軽症のデング熱を引き起こす弱毒化ウイルス株を曝露し、複数の用量で治験薬を投与することで、その安全性および症状軽減効果を評価する予定です。 米国疾病予防管理センター(CDC)によると、デング熱は感染したネッタイシマカ(Aedes蚊)によって媒介され、世界中の熱帯および亜熱帯地域を中心に、年間最大4億人が罹患しています。2024年にはアメリカ大陸におけるデング熱症例数が過去最高を記録し、アリゾナ州、カリフォルニア州、フロリダ州、ハワイ州、テキサス州で局地的な感染が報告されました。プエルトリコではデング熱が風土病として定着しており、昨年は約1,500例が報告されました。 デング熱に感染しても多くの人は症状を発症しませんが、発症した場合は激しい頭痛や全身痛、吐き気、嘔吐、発熱、発疹などが一般的です。罹患者の20人に1人が重症化し、ショックや内出血、死に至ることもあります。現在、米国食品医薬品局(FDA)に承認された治療法は存在しません。 「デング熱で重症化した患者を診る際、医療提供者には対症療法以外に選択肢がほとんどありません。」と、NIAID所長のジーン・マラッツォ医師(Jeanne Marrazzo, MD, MPH)は述べ、「デング熱に苦しむ人々に必要とされる安全かつ有効な治療法を見つける必要があります。」と語っています。 今回の新たな臨床試験では、「AV-1」と呼ばれる実験的なヒトモノクローナル抗体治療薬(investigational human monoclonal antibody

乾癬(かんせん)は、世界中で何百万人もの人々に影響を及ぼす、痛みと不快感を伴う炎症性皮膚疾患です。この疾患は、病原体や感染から身体を守る免疫細胞の活動によって悪化します。ケース・ウェスタン・リザーブ大学医学部の研究者らは、新たな研究において「NF-kB c-Rel(エヌエフ・カッパビー・シーレル)」というタンパク質が、体内の免疫系からのシグナルによって活性化されると、乾癬の症状を悪化させる可能性があることを明らかにしました。研究者らは、この「c-Rel(シーレル)」が皮膚の炎症にどのような影響を与えるのかを理解することで、新たな治療法の開発につながると述べています。 この研究は、2024年11月24日に『eBioMedicine』誌に掲載され、「NF-κB c-Rel Is a Critical Regulator of TLR7-Induced Inflammation in Psoriasis(NF-κB c-RelはTLR7誘導性乾癬炎症の重要な制御因子である)」というタイトルのオープンアクセス論文として公開されました。研究では、免疫細胞の一種である樹状細胞(DC: dendritic cells)の機能にc-Relがどのように関与しているのかが検討されました。さらに、「TLR7(トール様受容体7: Toll-like receptor 7)」という、自然免疫と炎症を制御する受容体を通じた免疫シグナルに対して、c-Relがどのように応答するのかを調べ、乾癬の悪化にどのように関与しているのかを探りました。加えて、研究者らはc-Relが欠損している場合、赤く鱗屑(りんせつ)状の皮膚症状を引き起こす炎症が軽減されることも明らかにしました。 「c-RelおよびTLR7に注目することで、科学者らが炎症を抑え、乾癬の症状を改善するような、より標的を絞った治療法を開発でき

あの首の長い人気者、キリン。彼らのお腹の中にいる小さな住人たち、つまり腸内細菌の驚くべき秘密が明らかになりました。私たちの常識では「食べるものが腸内環境を作る」と考えがちですが、キリンの場合は少し違うようです。スウェーデンと米国の研究チームがケニアに住む3種のキリンを調査した結果、彼らの腸内細菌の種類は、日々の食事内容よりも、なんと「どの種類のキリンか」によって決まっていることが判明したのです。この発見は、キリンの進化や健康を理解する上で新たな視点を提供するだけでなく、絶滅の危機に瀕する彼らを守るための重要な手がかりとなるかもしれません。2025年2月5日に「グローバル・エコロジー・アンド・コンサベーション」誌で発表されたこの研究では、糞便サンプルからDNAを解析するという最新技術を駆使し、キリンの食生活と腸内細菌叢(gut flora: ガットフローラ)の複雑な関係に迫りました。論文タイトルは「Diet-Microbiome Covariation Across Three Giraffe Species in a Close-Contact Zone(近接接触ゾーンにおける3種のキリン間の食事とマイクロバイオームの共変動)」です。 キリンにおける種特異的な腸内細菌叢 研究者たちは、ケニアの赤道付近に生息するアミメキリン、マサイキリン、キタキリンという3つの異なる種からサンプルを収集しました。科学者たちは、マイクロバイオームが、キリンが何を食べたかではなく、どの種に属するかによって主に決定されることを発見しました。 「私たちは、似たような食事をしているキリンは、マイクロバイオームも似ているだろうと予想していましたが、そのような関連は見つかりませんでした。それどころか、同じ種の中でも個体によって全く異なる植物を食べている場合でさえ、キリンは種特有のマイクロバイオ

神経細胞が注目を浴びる一方で、グリア細胞なしでは成り立ちません。 脳の神経細胞が神経系における主要な働きを担う一方で、栄養供給、老廃物の除去、神経細胞の保護といった役割を果たしているのがグリア細胞です。2025年1月2日に『Nature Communications』誌に掲載された新たな論文では、これらの重要なサポート役であるグリア細胞が神経細胞の損傷を感知し、反応する新たな仕組みが明らかにされました。この研究では、2つの主要なタンパク質が、線虫(C. elegans)の樹状突起から伸びる毛のような繊毛をグリア細胞が積極的にモニタリングし、損傷時に対応・防御する働きを果たしていることが示されています。この発見は、多嚢胞腎疾患(PKD)など、繊毛の異常が原因となる疾患の治療法開発においても新たな可能性をもたらすかもしれません。 このオープンアクセス論文のタイトルは「Glia Detect and Transiently Protect Against Dendrite Substructure Disruption in C. elegans(グリア細胞はC. elegansの樹状突起構造の破壊を感知し、一時的に保護する)」です。 「グリア細胞が樹状突起とどのように関与するかという経路を明らかにすることが、我々の主な目的でした」と語るのは、ロックフェラー大学 発生遺伝学研究室の責任者、シャイ・シャハム博士(Shai Shaham, PhD)です。 「今後の重要な課題は、この細胞の働きを操作することで、繊毛に関連する疾患に対応できるかどうかです。」 未知の領域へ 神経細胞は、情報を伝達するために軸索と樹状突起を用いており、軸索は信号を送り出す役割、樹状突起は信号を受け取る役割を担っています。一部の樹状突起の先端には繊毛が伸びており、これによってにおいや光、

ラトガース・ヘルスの研究者らは、極めてまれな遺伝性疾患である先天性全身性脂肪萎縮症(CGL: congenital generalized lipodystrophy)患者において、糖尿病治療薬の週1回の注射が、痛みを伴う日々のホルモン注射に代わる可能性があることを明らかにしました。この研究結果は、2025年1月29日に『The New England Journal of Medicine』誌に「Tirzepatide for Congenital Generalized Lipodystrophy(先天性全身性脂肪萎縮症に対するチルゼパチド)」というタイトルで掲載されました。CGLは全世界で数千人程度しか罹患していない極めて稀な疾患で、深刻な代謝障害、糖尿病、インスリン抵抗性、そして寿命の短縮を引き起こします。この疾患では脂肪組織がほとんど存在しないため、脂肪の適切な貯蔵が行えず、肝臓などの臓器に脂肪が蓄積してしまい、重度のインスリン抵抗性と糖尿病を引き起こします。 「これらの患者さんは重篤な状態で、深刻なインスリン抵抗性のために著しく寿命が短縮されてしまいます」と、ラトガース・ロバート・ウッド・ジョンソン医科大学の内分泌・代謝・栄養学部門長であり、本研究の責任著者であるクリストフ・ビュトナー博士(Christoph Buettner MD, PhD)は述べています。 現在、CGLの標準的な治療法は、脂肪組織のみが自然に産生するホルモンであるレプチンの合成版「メトレレプチン」の毎日の注射です。しかし、これらの注射は非常に高価で、年間数百万円に及ぶ上に、CGL患者にとって非常に痛みを伴う治療です。 「例えばインスリンを注射する場合、通常は皮下脂肪に注射しますが、CGLの患者さんにはその脂肪がありません」と、本研究の第一著者であるスヴェトラーナ・テン博士(Sv

カーネーションのようなナノ構造体が、将来的には創傷治癒を促進するための包帯に使用される可能性があります。研究者らは『ACS Applied Bio Materials』誌において、ナノフラワーでコーティングされた包帯の実験室試験により、抗生物質作用、抗炎症作用、そして生体適合性を示したと報告しています。これらの結果から、タンニン酸とリン酸銅(II)から発芽させたナノフラワー包帯が、感染症や炎症性疾患の治療において有望な候補であると述べています。この論文は2025年1月6日に発表され、タイトルは「Self-Assembled Nanoflowers from Natural Building Blocks with Antioxidant, Antibacterial, and Antibiofilm Properties(抗酸化・抗菌・抗バイオフィルム特性を有する天然構成要素由来の自己組織化ナノフラワー)」です。 ナノフラワーは、自発的に組み上がる微細な構造体ですが、その広い表面積により薬剤分子を多数付着させることができ、薬剤の送達に特に適しています。包帯の「花」を設計するにあたり、ジェノヴァ大学のファテメ・アフマドプール(Fatemeh Ahmadpoor)とピエル・フランチェスコ・フェラーリ(Pier Francesco Ferrari)らは、タンニン酸とリン酸銅(II)を使用しました。両方の試薬が抗菌性および抗炎症性を有するためです。研究者らは、生理食塩水中でナノフラワーを成長させた後、生体模倣構造をエレクトロスピニング法で作製したナノファイバー布地のストリップに付着させました。 その結果、ナノフラワーでコーティングされた包帯は、培養された広範な細菌(大腸菌、緑膿菌、黄色ブドウ球菌など)およびそれらの抗生物質耐性バイオフィルムを不活性化し、活性酸素種(ROS)

数分でゲノム構造を予測:AIが切り拓く新時代のクロマチン解析 特定のDNA配列が細胞核内でどのように配置されるかを予測する新たなアプローチが、これまで数日かかっていた解析をわずか数分で可能にしました。人間の体内のすべての細胞は同じ遺伝情報を持っていますが、実際に発現する遺伝子は細胞ごとに異なります。脳細胞と皮膚細胞が異なる機能を持つのは、三次元的なゲノム構造が各遺伝子のアクセス可能性を調整し、細胞特異的な遺伝子発現パターンを作り出しているためです。 MITの化学者らは、生成型人工知能を用いて、これらの3Dゲノム構造を高速かつ正確に予測する新技術を開発しました。この技術により、従来の実験法よりもはるかに短時間で数千の構造を予測することが可能となり、ゲノムの三次元配置が細胞機能や遺伝子発現にどのような影響を及ぼすのかを解明する研究が加速することが期待されます。 「私たちの目的は、DNA配列から3次元のゲノム構造を予測することでした」と語るのは、MIT化学科の准教授であり、この研究の責任著者であるビン・チャン博士(Bin Zhang, PhD)です。「この技術は最先端の実験技術と同等の精度を持ち、非常に多くの新しい研究機会を切り開くことができます。」 この研究は、MITの大学院生であるグレッグ・シュエッテ(Greg Schuette)氏とズオハン・ラオ(Zhuohan Lao)氏が筆頭著者を務め、2025年1月31日に『Science Advances』誌に掲載されました。論文タイトルは「ChromoGen: Diffusion Model Predicts Single-Cell Chromatin Conformations(ChromoGen:拡散モデルによる単一細胞クロマチン構造の予測)」です。 配列から構造へ:DNAの折りたたみをAIで予測 細

2025年1月16日付で『Cell』誌に掲載された新たな研究論文「Long Somatic DNA-Repeat Expansion Drives Neurodegeneration in Huntington’s Disease(長い体細胞DNAリピートの拡大がハンチントン病の神経変性を引き起こす)」では、ハンチントン病(HD)について詳細に検討されており、その進行がHTT遺伝子内のCAGリピートの体細胞内拡大と特定の神経細胞において関連していることが明らかになりました。この研究は、ハーバード・メディカル・スクールおよびマサチューセッツ工科大学・ハーバード大学のブロード研究所に所属するロバート・E・ハンズエイカー(Robert E. Handsaker)、セヴァ・カシン(Seva Kashin)、サビーナ・ベレッタ(Sabina Berretta)、スティーブン・A・マッキャロール(Steven A. McCarroll)ら研究者によって主導されました。本研究は、HDの特徴的な神経細胞変性、特に線条体投射ニューロン(SPN)におけるメカニズムに光を当てるものです。この成果は、HDに関する重要な疑問を明らかにするとともに、同様の遺伝性疾患に対する新たな治療方針を示唆しています。 ハンチントン病のメカニズム HDは、HTT遺伝子内のCAGリピート配列の生殖細胞系列における拡大によって引き起こされます。通常の人ではこのリピートは15〜30回ですが、HDを発症する人では36回以上となっています。この拡大はハンチンチン(huntingtin)タンパク質内のポリグルタミン配列をコードし、これが疾患の発症に関与していると考えられています。しかしながら、遺伝的に受け継がれたリピートの長さが発症リスクや発症年齢を決定する一方で、どのようにして神経細胞死が起こるのかは長年の謎でし

クリーブランド・クリニックの研究により、パーキンソン病に関与する可能性のある遺伝的要因および再利用可能な治療薬が特定されました。クリーブランド・クリニック ゲノムセンター(Cleveland Clinic Genome Center、以下CCGC)の研究者らは、先進的な人工知能(AI)遺伝学モデルをパーキンソン病に応用することに成功しました。研究者らは、疾患の進行に関与する遺伝的要因と、パーキンソン病(Parkinson’s disease:PD)の治療に再利用できる可能性のある米国食品医薬品局(FDA)承認済みの医薬品を特定しました。この成果は、2025年1月22日に『npj Parkinson’s Disease』誌に発表された公開アクセスの論文「A Network-Based Systems Genetics Framework Identifies Pathobiology and Drug Repurposing in Parkinson’s Disease(ネットワークベースのシステム遺伝学フレームワークによるパーキンソン病の病態生物学と薬剤再利用の特定)」で報告されています。 この研究では、遺伝子、プロテオーム、医薬品、患者データなど複数の情報をAIで統合・解析し、単一のデータだけでは見えないパターンを見つけ出す「システム生物学」というアプローチが用いられました。 本研究の責任著者でありCCGCのディレクターを務めるフェイション・チェン博士(Feixiong Cheng, PhD)は、システム生物学分野の第一人者であり、アルツハイマー病の新たな治療法を見出すための複数のAIフレームワークを開発してきた実績を持ちます。 「パーキンソン病は、認知症に次いで2番目に多い神経変性疾患ですが、世界中でこの病気に苦しむ何百万人もの人々に対し、進行を止めたり遅ら

マギル大学が主導する新たな研究によると、体の自然な睡眠・覚醒サイクルと連動する脳のリズムが、双極性障害の患者が躁状態と抑うつ状態を交互に経験する理由を説明する可能性があると示されています。この研究成果は2025年1月1日付で『Science Advances』誌に掲載され、双極性障害における二つの状態の切り替わりを引き起こす要因に関する理解において、画期的な前進を示しています。筆頭著者であるカイ=フロリアン・シュトルヒ博士(Kai-Florian Storch, PhD)は、この現象の解明は「双極性障害研究の聖杯」とされています。 このオープンアクセス論文のタイトルは「Mesolimbic Dopamine Neurons Drive Infradian Rhythms In Sleep-Wake and Heightened Activity State(中脳辺縁系のドーパミン神経が睡眠・覚醒および活動亢進状態における亜日周期リズムを駆動する)」です。 「私たちのモデルは、気分のスイッチや周期変動のための初の普遍的なメカニズムを示しており、それは太陽と月が定期的に大潮を引き起こすような仕組みと類似しています」と、マギル大学精神医学部の准教授であり、ダグラス研究センター所属の研究者であるカイ=フロリアン・シュトルヒ博士(Kai-Florian Storch, PhD)は述べています。 本研究によれば、双極性障害の患者における定期的な気分変動は、2つの「時計」によって制御されている可能性があります。一つは24時間周期の生物時計であり、もう一つは通常覚醒状態に関与するドーパミン産生ニューロンによって駆動される第二の時計です。これら異なる速度で動作する2つの時計のタイミングが特定の時点でどのように一致するかにより、躁状態や抑うつ状態が生じると考えられています。 注目す

世界の人口のおよそ10人に1人が、希少遺伝性疾患の影響を受けていますが、急速に進展する遺伝子技術や検査手法にもかかわらず、約50%の患者はいまだに診断されていません。たとえ検査にアクセスできたとしても、診断がつくまでに約5年、あるいはそれ以上かかることが多く、特に患者が子どもである場合、適切な治療を始めるには遅すぎることもあります。この問題の一因は、現在の臨床検査で主に使用されている「ショートリードシーケンシング」という手法にあります。この方法では、ゲノムの一部の領域にアクセスできず、診断に必要な重要な情報が見逃される可能性があります。 カリフォルニア大学サンタクルーズ校(UC Santa Cruz, UCSC)の研究者らは、これに代わる最先端技術「ロングリードシーケンシング(long-read sequencing)」の研究を推進しており、これはより包括的な変異検出データセットを提供し、複数の専門的検査を不要にし、希少疾患の診断を効率化できる可能性があります。 2025年1月24日付で『The American Journal of Human Genetics』誌に掲載された研究論文「Advancing Long-Read Nanopore Genome Assembly and Accurate Variant Calling for Rare Disease Detection(ロングリードナノポアによるゲノムアセンブリと高精度変異検出の進展が希少疾患診断を可能にする)」では、この技術が診断率を向上させ、診断にかかる期間を数年から数日に短縮できる可能性があることが示されました。この研究は、UCSCゲノミクス研究所の中核メンバーであるベネディクト・ペイトン博士(Benedict Paten, PhD)教授、カレン・ミーガ博士(Karen Miga, Ph

遺伝的な観点から見ると、これはバクテリアにとって最悪のシナリオです。転写の過程で、新しく合成されたRNAがDNAの鋳型にくっつき、「Rループ(R-loop)」と呼ばれる三本鎖構造を形成します。これらの構造は細胞内で重要な役割を果たす一方で、不適切な場所やタイミングで生じると、DNAの切断、突然変異、そして細胞死を引き起こす原因にもなり得ます。 このたび『Nature Structural & Molecular Biology』誌に掲載された新しい研究論文「RapA Opens the RNA Polymerase Clamp to Disrupt Post-Termination Complexes and Prevent Cytotoxic R-loop Formation(RapAはRNAポリメラーゼのクランプを開き、転写終了後複合体を解体して細胞毒性Rループの形成を防ぐ)」では、大腸菌(E. coli)において酵素RapAがRループの形成を防ぐ仕組みが解明され、全ての細胞がゲノムの安定性をどのように維持しているかについて重要な示唆を与えています。 この研究結果は、DNAをRNAへと転写する役割を担うRNAポリメラーゼ(acronym: RNAP, original English term: RNA polymerase)という酵素が、特定の条件下ではRループを大量に生成してしまう可能性があることを示しています。しかし、それを未然に防いでいるのがRapAというタンパク質です。 「Rループは基本的に細胞にとって厄介な存在なので、それらの形成を防ぐために、細胞は多数の冗長的な機構を備えています」と、ロックフェラー大学分子生物物理学研究室の主任であるセス・ダーシュト博士(Seth Darst, PhD)氏は語ります。「私たちは長年関心を持っていたRapA

ミトコンドリアは細胞の恒常性維持において極めて重要な細胞小器官であり、ATP産生、活性酸素種(ROS: reactive oxygen species)の制御、Ca2+シグナリングなどのプロセスを調節しています。特にミトコンドリア内のCa2+は、生理的機能(代謝やATP合成)を可能にする一方で、調節が破綻するとアポトーシス(細胞死)や酸化ストレスといった病理的プロセスにも関与するという二面性を持っています。ミトコンドリア内Ca2+のバランスは、取り込みと排出のメカニズムの相互作用によって維持されています。Ca2+の流入に関与するミトコンドリアCa2+ユニポーター複合体(MCU: mitochondrial calcium uniporter)や、Ca2+の排出を担うNa+/Ca2+交換輸送体(NCLX: Na+/Ca2+ exchanger)といった主要な分子が関与しています。さらに、ミトコンドリアと小胞体との接触部位(MERCS: mitochondria-endoplasmic reticulum contact sites)も、Ca2+の移動を促進する上で重要な役割を果たします。 このシステムのいずれかのレベルで調節異常が起きると、例えば過剰な取り込みや排出機能の障害が発生し、ミトコンドリアCa2+の過剰蓄積を引き起こします。これにより、ROSの産生、ミトコンドリア膜電位の喪失、透過性遷移孔(mPTP: mitochondrial permeability transition pore)の活性化が誘発され、最終的には細胞死へとつながります。 中国科学院の研究者ら(KeAiジャーナル『Mitochondrial Communications』2025年1月14日掲載)は、ミトコンドリアCa2+の恒常性破綻が神経変性疾患に果たす役割について概説した総説「Deco

Natureに掲載された研究により、双極性障害に関連する約300のゲノム領域と、疾患に関与する36の主要な遺伝子が特定される この研究から得られた生物学的知見は、より優れた治療法の開発、早期介入、そしてプレシジョン・メディシン(精密医療)への道を開く可能性があります。双極性障害は、(軽)躁状態と抑うつ状態の間を変動することを特徴とする複雑な精神疾患です。世界中で約4,000万~5,000万人がこの疾患を抱えていると推定されています。双極性障害は、自殺を含むさまざまな負の影響と関連しており、診断までに平均8年かかることが知られています。しかし、この疾患の生物学的なメカニズムについては未だ十分に解明されていません。 今回の新たな研究では、約290万人の参加者のデータを分析しました。研究者らは、欧州系、東アジア系、アフリカ系アメリカ人、ラテン系の祖先を持つ参加者(双極性障害患者158,036名、対照群280万人)を対象に、臨床データ、地域社会ベースのデータ、自己申告データを統合して解析しました。その結果、双極性障害に関連する298のゲノム領域が特定され、これまでの発見の4倍に相当する成果となりました。さらに、複数の手法を組み合わせた解析により、双極性障害と強く関連する36の遺伝子が特定されました。 この研究結果は2025年1月22日にNature誌に掲載されました。論文のタイトルは「Genomics Yields Biological and Phenotypic Insights into Bipolar Disorder(ゲノミクスがもたらす双極性障害の生物学的・表現型的洞察)」です。 「これは、双極性障害に関する初の大規模な多民族ゲノム解析であり、双極性障害の異なるタイプを含んでいます。大規模なサンプルサイズのおかげで、双極性障害に関連する遺伝的バリアント

古代ウイルスDNAの新たな役割:初期胚発生における「トランスポゾン」の重要性 私たちのゲノムの半分以上は、古代ウイルスDNAの名残である「トランスポゾン(transposable elements)」によって構成されています。このかつて「ゲノムの暗黒面」とも呼ばれた要素が、初期胚発生において重要な役割を果たしていることを、ドイツ・ヘルムホルツミュンヘン研究所およびルートヴィヒ・マクシミリアン大学(LMU)の研究者チームが明らかにしました。 未解決の謎:古代ウイルスDNAの役割 トランスポゾンは、受精直後の数時間から数日にわたり再活性化されます。この初期発生のダイナミックな過程では、胚細胞が顕著な可塑性を示しますが、その分子メカニズムや規制因子については依然不明な点が多いです。マウスをモデルとした研究では、トランスポゾンが細胞の可塑性に重要な役割を果たすことが示唆されていますが、この現象がすべての哺乳類に共通するのかは未解明です。これらのウイルス遺伝子の進化的起源が多様であることから、哺乳類のゲノムにおける保存性についてさらなる疑問が生じています。この規制メカニズムを解明することは、生殖医学の進歩やゲノム規制の基本原則を理解するために重要です。 消滅したはずのウイルス遺伝子が哺乳類胚で再活性化 マリア・エレナ・トーレス=パディリャ博士(Maria-Elena Torres-Padilla, PhD)を中心とする研究チームは、これらの古代DNA配列を研究するための新しい手法を開発しました。この手法により、マウス、ウシ、ブタ、ウサギ、アカゲザル(非ヒト霊長類)など複数の哺乳類種の胚を比較し、単一胚アトラスを作成しました。その結果、消滅したと考えられていた古代のウイルス配列が、哺乳類胚で再活性化されることが判明しました。また、それぞれの種が特有のトランスポ

SIDS(乳幼児突然死症候群)の「指紋」を血液検査で特定:UVA医学部の最新研究 バージニア大学(University of Virginia, UVA)医学部の新しい研究により、乳幼児突然死症候群(SIDS: Sudden Infant Death Syndrome)の特徴が血液サンプルから識別できる可能性が示されました。この発見は、SIDSのリスクが高い乳児を簡単な検査で特定する道を開くと考えられています。さらに、SIDSの原因解明に向けた重要な一歩となり得ます。SIDSは生後1か月から1歳までの乳児の主要な死因であり、その原因は長年にわたり不明のままでした。UVAの研究者らは、SIDSで死亡した乳児の血清サンプルを分析し、特定の生物学的指標を特定しました。これらの指標は、SIDSと関連があるだけでなく、その原因となっている可能性もあります。研究者らは、これらの兆候を早期に検出できる検査が開発されれば、命を救うことにつながると考えています。 UVA健康格差・精密公衆衛生センター(Center for Health Equity and Precision Public Health)の創設ディレクターであり、現在はイーストカロライナ大学(East Carolina University)に所属するキース・L・キーン博士(Keith L. Keene, PhD)は、次のように述べています。 「本研究は、血液中の小分子がSIDSのバイオマーカーとして機能するかどうかを検出しようとした過去最大規模の研究です。我々の発見は、SIDSのリスク増加や診断に関与する可能性のある複数の重要な生物学的経路を示しており、その仕組みを理解する手がかりを提供します。」 SIDSの理解を深める 研究者らによると、本研究は「メタボロミクス」の可能性を示すものです。メタボロミクスとは、

筋肉内に隠れた脂肪が心疾患リスクを高める:BMIでは評価できない新たな指標 2025年1月20日に「European Heart Journal」に掲載された研究によると、筋肉内に蓄積された「異所性脂肪(intermuscular fat)」を多く持つ人は、心筋梗塞や心不全による死亡や入院のリスクが高まることが明らかになりました。このオープンアクセスの論文は「Skeletal Muscle Adiposity, Coronary Microvascular Dysfunction, and Adverse Cardiovascular Outcomes(骨格筋脂肪蓄積、冠微小血管機能障害、および心血管系への悪影響)」と題されています。 この「異所性脂肪」は、牛肉のステーキでは旨味のもととして価値がある一方で、人間の健康への影響についてはほとんど知られていません。本研究は、筋肉内脂肪が心疾患に及ぼす影響を包括的に調査した初の研究です。今回の発見は、従来の指標である体格指数(BMI: Body Mass Index)やウエスト周囲径が、すべての人に対して正確に心疾患リスクを評価するには不十分であることを示唆しています。 この研究は、ハーバード大学医学部(Harvard Medical School)およびブリガム・アンド・ウィメンズ病院(Brigham and Women's Hospital)の心臓ストレス検査室(Cardiac Stress Laboratory)のディレクターであるヴィヴィアニー・タケティ医師(Viviany Taqueti MD, MPH)を中心に行われました。彼女は次のように述べています。 「肥満は現在、心血管の健康に対する最大の脅威の1つですが、肥満を定義し、介入の基準とするための主要指標であるBMIは、心血管予後を評価する上で論争の的

世界の主要なすべての人口集団において、うつ病の新たな遺伝的リスク因子が初めて特定されました。これにより、科学者らは民族に関係なく、うつ病のリスクを予測できるようになりました。専門家によると、今回の研究は、これまでで最大かつ最も多様性のあるうつ病の遺伝学的研究であり、これまで知られていなかった約300の遺伝的関連が明らかになりました。そのうち100の新たに発見された遺伝的変異—遺伝子を構成するDNA配列のわずかな違い—は、アフリカ系、東アジア系、ヒスパニック系、南アジア系の人々を対象に含めたことによって特定されました。 これまでのうつ病の遺伝学研究は、主にヨーロッパ系の祖先を持つ白人集団を対象として行われてきました。そのため、遺伝学的アプローチを用いて開発された治療法が、他の民族では効果的でない可能性があり、既存の健康格差を広げる要因となる可能性があります。 各遺伝的変異の単体での影響は、うつ病の発症リスク全体に対して非常に小さいものです。しかし、複数の変異を持つ場合、それらの小さな影響が積み重なり、リスクが増加する可能性があります。 研究チームは、新たに特定された遺伝的変異を考慮することで、個人のうつ病リスクをより正確に予測できるようになりました。 この国際的な研究チームは、エディンバラ大学およびキングス・カレッジ・ロンドン(King’s College London)が主導し、世界29か国の500万人以上の匿名化された遺伝情報を分析しました。研究対象者のうち、4人に1人は非ヨーロッパ系の祖先を持つ人々でした。 研究者らは、うつ病の発症と関連する遺伝コードの変異を合計700カ所特定しました。そのうち約半数はこれまでうつ病との関連が知られていなかったものであり、最終的に特定された遺伝子は308種類に及びました。 特定された遺伝的変異は、複数の脳領域に存在するニ

脳卒中から1カ月後でも効果的:修飾ヒト幹細胞が脳活動を改善する新療法 米国では40秒ごとに1人が脳卒中を発症しています。脳卒中の中で最も一般的な虚血性脳卒中では、完全回復するのはわずか5%で、多くの患者が長期的な麻痺や慢性痛、てんかんなどの後遺症に苦しみます。しかし、グラッドストーン研究所(Gladstone Institutes)と再生医療企業SanBioが開発した幹細胞治療が、脳卒中から1カ月後でも正常な脳活動パターンを回復させる可能性があることが明らかになりました。従来の治療は発症直後に行う必要がありましたが、この細胞療法はラットで1カ月後に投与しても効果を示しました。 画期的な治療の可能性 「脳卒中発症から数週間や数カ月後に投与できる治療法はこれまで存在しませんでした。この成果は非常にエキサイティングです」と語るのは、今回の研究を主導したグラッドストーン研究所のジーン・パズ博士(Jeanne Paz, PhD)。研究結果は2025年1月11日付けの「Molecular Therapy」に発表され、論文タイトルは「Modified Human Mesenchymal Stromal/Stem Cells Restore Cortical Excitability After Focal Ischemic Stroke in Rats(修飾ヒト間葉系幹細胞がラットの局所虚血性脳卒中後の皮質興奮性を回復させる)」です。 虚血性脳卒中と脳過興奮性 虚血性脳卒中は、血栓や血管の狭窄によって脳への血流が遮断され、脳細胞が酸素と栄養不足で損傷する病態です。この過程で一部の脳細胞は死滅し、残存する細胞は異常な過活動(過興奮性)を示します。過興奮性は運動障害やてんかんに関連しており、効果的な治療法はこれまで開発されていませんでした。 幹細胞治療の詳細とその

研究者らは、コンピューターによるスクリーニング手法を用いて、遺伝性眼疾患の患者の視力喪失を防ぐ可能性のある2種類の化合物を特定しました。2つの新規化合物が網膜色素変性症(retinitis pigmentosa, RP)の治療に有望であることが明らかになりました。網膜色素変性症は、遺伝性の眼疾患の一群であり、進行性の失明を引き起こします。この研究は、2025年1月14日にオープンアクセスジャーナル『PLOS Biology』に掲載され、米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学(Case Western Reserve University)のベアタ・ヤストシェブスカ(Beata Jastrzebska)氏らの研究チームによって発表されました。論文のタイトルは、「Discovery of Non-Retinoid Compounds That Suppress the Pathogenic Effects of Misfolded Rhodopsin in a Mouse Model of Retinitis Pigmentosa(網膜色素変性症モデルマウスにおいて、異常折りたたみロドプシンの病原性を抑制する非レチノイド化合物の発見)」です。 網膜色素変性症では、ロドプシン(rhodopsin)と呼ばれる網膜のタンパク質が遺伝子変異によって誤った折りたたみ(ミスフォールディング)を起こし、網膜細胞の死滅を引き起こします。その結果、進行性の視力喪失が生じます。この疾患は、米国だけでも約10万人が罹患していると推定されており、ロドプシンの適切な折りたたみを促す低分子化合物の開発が急務とされています。 現在、実験的な治療法としては、レチノイド化合物(retinoid compounds)—合成ビタミンA誘導体—が使用されていますが、光に対する感受性や毒性といった問題があり、さま

細胞内のタンパク質の位置を正確に特定する新手法が開発され、感染症やその他の環境変化に対する細胞の応答メカニズムの新たな理解がもたらされました。工場やオフィスの労働者が適切な部署に配置されるように、細胞内のタンパク質もそれぞれ適切な場所に配置される必要があります。しかし、科学者らは細胞の全体的な組織構造を完全には把握できておらず、ましてやウイルスの侵入といった危機的状況において、細胞内の「従業員(タンパク質)」がどのように再配置されるのかは依然として不明でした。例えば、ウイルスによる感染が起こると、細胞のタンパク質は新たな場所へ移動し、病原体の目的に沿う形で働く場合もあれば、細胞自身が感染に抵抗するための役割を担うこともあります。 2024年12月31日に学術誌『Cell』に掲載された新たな研究では、チャン・ザッカーバーグ・バイオハブ・サンフランシスコ(CZ Biohub SF)の学際的な研究チームによって、細胞全体の空間的な組織を前例のないほどの詳細なレベルで捉える手法が開発されました。この手法により、ヒト細胞内の約1万種類のタンパク質の大部分を、細胞小器官やその他の細胞内区画に基づいてマッピングすることが可能になりました。この研究は、私たちの細胞がどのように構築されているのかを理解するための重要な基盤を提供するとともに、ウイルス感染時に一部のタンパク質がどのように再配置されるかを解析するためにも応用されました。 このオープンアクセス論文のタイトルは、「Global Organelle Profiling Reveals Subcellular Localization and Remodeling at Proteome Scale(グローバルオルガネラプロファイリングによる細胞内局在およびプロテオームスケールでのリモデリングの解明)」です。 本研究は、「空間プ

研究者らは、卵細胞が生命の創造に向けてどのように準備を行うのかを解明しました。彼らの研究は、バルビアニ小体(Balbiani body)と呼ばれる驚くべき構造の秘密を明らかにしました。この構造は、初期の胚発生を導くために不可欠な分子を整理する役割を果たします。ゼブラフィッシュをモデルとして用い、最先端のイメージング技術を駆使した結果、この構造が液滴状の形態から安定したコアへと変化し、生命の基盤を築く仕組みが明らかになりました。この発見により、自然の生殖プロセスの驚異的な精密さが浮き彫りになりました。 ヘブライ大学医学部およびイスラエル・カナダ医学研究所(IMRIC)のヤニブ・エルクービー教授(Yaniv Elkouby)率いる研究チームは、筆頭共同著者であるスワスティク・カー(Swastik Kar)氏とレイチェル・ダイス氏(Rachael Deisを含むメンバーとともに、生命創成のために細胞がどのように自己組織化するのかに関する貴重な知見を提供しました。科学者らは200年以上にわたり、胚発生に不可欠な未熟な卵細胞(卵母細胞)の独特な極性に注目してきましたが、そのメカニズムは長らく謎に包まれていました。本研究は、その解明に一歩近づくものであり、生殖医療や発生生物学にとって重要な意味を持ちます。この研究は、オープンアクセスジャーナル「Current Biology」に掲載され、「The Balbiani Body Is Formed by Microtubule-Controlled Molecular Condensation of Buci in Early Oogenesis(バルビアニ小体は初期卵形成過程において微小管制御によるBuciの分子凝縮によって形成される)」というタイトルで発表されました。 本研究の中心的なテーマは、バルビアニ小体(Balbiani

「リポカートリッジ」:気泡緩衝材のような超安定・柔軟な軟骨組織を発見 カリフォルニア大学アーバイン校(University of California, Irvine)の研究者らが率いる国際研究チームは、再生医療や組織工学の進歩に大きく貢献する可能性を持つ新たな骨格組織のタイプを発見しました。通常の軟骨は、外部の細胞外マトリックス(ECM)に依存して強度を保ちます。しかし、今回発見された「リポカートリッジ(lipocartilage)」は、耳、鼻、喉などの哺乳類の組織に存在し、脂肪を蓄えた細胞「リポコンドロサイト(lipochondrocytes)」によって内部から安定した支持構造を形成しています。これにより、リポカートリッジは気泡緩衝材のように柔らかく弾力性があるという特徴を持ちます。 この研究は、2025年1月9日に学術誌「Science」にオンライン掲載されました。論文のタイトルは、 「Superstable Lipid Vacuoles Endow Cartilage with Its Shape and Biomechanics(超安定な脂質液胞が軟骨の形状と生体力学的特性を付与する)」です。 研究によると、リポカートリッジの細胞は独自の脂質貯蔵システムを維持し、そのサイズを一定に保つことが分かりました。通常の脂肪細胞(アディポサイト)とは異なり、リポコンドロサイトは食事による脂肪の増減に影響を受けず、縮小や膨張を起こさないのが特徴です。 カリフォルニア大学アーバイン校の発生・細胞生物学教授であり、本研究の責任著者であるマクシム・プリクス博士(Maksim Plikus, PhD)は次のように述べています。 「リポカートリッジの柔軟性と安定性は、耳たぶや鼻先のような弾力性が求められる部位に最適な特性をもたらします。これは、再生医療や組織工学の分野で非

赤色光が血栓リスクを低減:心臓発作や脳卒中の予防に期待 ピッツバーグ大学医学部とUPMC(University of Pittsburgh Medical Center)の外科医科学者らが主導する研究によると、長波長の赤色光を浴びたヒトとマウスは、心臓発作、肺損傷、脳卒中を引き起こす血栓(血の塊)ができる確率が低いことが明らかになりました。本研究は、2025年1月10日に学術誌「Journal of Thrombosis and Haemostasis(血栓止血学ジャーナル)」に発表されたオープンアクセス論文で報告されています。論文タイトルは、 「Alterations in Visible Light Exposure Modulate Platelet Function and Regulate Thrombus Formation(可視光への曝露の変化が血小板の機能を調節し、血栓形成を制御する)」です。 この研究成果は、さらなる臨床試験による検証が必要ですが、静脈や動脈にできる血栓のリスクを低減させる可能性があり、これは世界中で予防可能な死因の主要な要因を減らすことに繋がる可能性があります。 本研究の筆頭著者であり、ピッツバーグ大学外科助教授であり、UPMCの血管外科の研修医でもあるエリザベス・アンドラスカ医師(Elizabeth Andraska, MD)は次のように述べています。 「私たちが浴びる光は、生体プロセスを変化させ、健康に影響を与える可能性があります。今回の研究結果は、低コストで実施可能な治療法の開発につながる可能性があり、世界中の何百万人もの人々に恩恵をもたらす可能性を秘めています。」 研究チームはさらに、10,000人以上の白内障手術患者の既存データを分析し、光の影響を検討しました。 白内障手術を受けた患者は、次のいずれかのレンズを移

チンパンジーの遺伝的適応が示す生息地ごとの進化:マラリア耐性との関連も ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(University College London: UCL)の研究者らが率いる国際チームの研究によると、チンパンジーは異なる森林やサバンナの生息地に適応するための遺伝的変異を持ち、その一部はマラリアへの耐性を持つ可能性があることが明らかになりました。チンパンジーは私たち人間に最も近い生物であり、DNAの98%以上を共有しています。この研究結果は、2025年1月10日付で学術誌「Science」に発表されました。研究者らは、この発見が人類の進化史の解明だけでなく、マラリア感染の生物学的理解の深化にも貢献すると述べています。論文のタイトルは「Local Genetic Adaptation to Habitat in Wild Chimpanzees(野生チンパンジーにおける生息地への局所的遺伝的適応)」です。 チンパンジーは現在、生息地の破壊、密猟、感染症によって絶滅の危機に瀕しています。本研究の成果は、気候変動や土地利用の変化が異なるチンパンジーの群れに異なる影響を与える可能性があることを示唆しており、保全活動の指針としても重要な知見を提供します。 UCL遺伝学研究所のアイダ・アンドレス教授(Aida Andrés)は次のように述べています。 「現在、数十万頭のチンパンジーが生息していますが、その生息環境は東アフリカから西アフリカの熱帯雨林や開けた森林地帯、サバンナまで多岐にわたります。これは非常に特異な点です。なぜなら、人間を除く他の類人猿はすべて森林にのみ生息しているからです。」 「今回の研究では、チンパンジーが行動の変化だけでなく、異なる環境で生き抜くために遺伝的にも適応してきたことを示しました。」 「チンパンジーは現在、生息域全体で環境変化

ほぼギャップのないゲノム配列が明らかにする単孔類の複雑な性染色体システムの進化 複数の性染色体を持つ卵を産む哺乳類、ハリモグラのほぼ完全なゲノム配列が解読されました。この成果により、研究者らはこの種の極めて特殊な性決定システムを生み出したゲノムの再編成過程を追跡できるようになりました。オーストラリアを代表する動物の一つである短鼻ハリモグラ(Tachyglossus aculeatus)は、単孔類と呼ばれる哺乳類のグループに属しています。この単孔類にはカモノハシも含まれています。一見するとハリネズミのように見えるかもしれませんが、実は卵を産む哺乳類です。 浙江大学のグオジエ・ジャン氏(Guojie Zhang)とチョウ・チー(Qi Zhou)氏、BGIリサーチのヤン・チョウ氏(Yang Zhou)、アデレード大学のフランク・グリュツナー氏(Frank Grutzner)を中心とする国際研究チームは、短鼻ハリモグラのほぼギャップのないゲノム配列を提供しました。研究者らは、この新しいデータを用いて、単孔類に特有の複雑な性染色体構成の進化的起源を解明しました。この研究成果は、2025年1月9日にオープンサイエンスジャーナル「GigaScience」に発表されました。論文のタイトルは「Chromosome-Level Echidna Genome Illuminates Evolution of Multiple Sex Chromosome System in Monotremes(染色体レベルのハリモグラゲノムが単孔類における複数性染色体システムの進化を解明)」です。 単孔類には、他の哺乳類とは異なる独特の特徴がいくつもあります。その一つが系統樹上の位置です。単孔類は他の哺乳類から非常に早い段階で分岐しており、哺乳類の系統樹の中で最も古い枝を形成しています。このことは、

鳥は、仲間を見つけるため、捕食者を追い払うため、あるいは単に楽しむために音を発します。しかし、鳥が発する音の多様性を生み出す条件については、十分に解明されていません。ウィスコンシン大学マディソン校の研究者らは、世界中の鳥の音に影響を与える要因を調査する初のグローバル研究を実施しました。本研究では、10万件以上の音声記録を分析し、その結果を2024年11月6日にオープンアクセス論文として『Proceedings of the Royal Society B–Biological Sciences』誌に発表しました。この論文は、同誌の2024年11月号の表紙論文として掲載されました。 これまで、鳥の生息地、地理的要因、体の大きさ、くちばしの形状が鳥の音に与える影響については、小規模な研究が行われてきました。しかし、ウィスコンシン大学マディソン校の博士課程の学生であるH.S. サティヤ・チャンドラ・サガル(H.S. Sathya Chandra Sagar)は、森林・野生生物生態学部(Department of Forest and Wildlife Ecology)およびネルソン環境学研究所(Nelson Institute for Environmental Studies)のズザナ・ブジヴァロヴァ教授(Zuzana Buřivalová)と共に、これらの仮説が世界規模で成り立つかを検証しました。 サガル氏は、世界中の人々が記録し、鳥類観察データベース「xeno-canto」に投稿した鳥の音声記録を分析しました。その結果、既知の鳥類種の77%を網羅するデータセットが得られました。 本研究の主な発見は以下の通りです。 鳥の生息地は、発する音の周波数に予想外の影響を与える 例えば、流れる水が多い生態系では、低周波で持続的なホワイトノイズが発生します。このような環境

スタンフォード医学部、AIを活用した糖尿病診断アルゴリズムを開発—2型糖尿病のサブタイプを特定 糖尿病は長らく1型(主に小児期発症)と2型(肥満と関連し、成人期に発症しやすい)の2種類に分類されてきました。しかし、2型糖尿病(Type 2 Diabetes)の患者には体重や発症年齢などの違いがあり、すべてが同じメカニズムで発症するわけではないことが明らかになっています。このたび、米・スタンフォード医学部(Stanford Medicine)の研究チームは、持続血糖モニター(Continuous Glucose Monitor, CGM)のデータを活用し、2型糖尿病の主要な4つのサブタイプのうち3つを識別できる人工知能(AI)アルゴリズムを開発しました。「このツールを使えば、糖尿病予備軍(prediabetes)の早期発見が可能になり、食事や運動の習慣を調整することで予防につなげることができます」と、本研究の共同責任著者であるマイケル・スナイダー博士(Michael Snyder, PhD)は述べています。本研究は、2024年12月23日にNature Biomedical Engineering誌に掲載されました。 論文タイトルは、「Prediction of Metabolic Subphenotypes of Type 2 Diabetes Via Continuous Glucose Monitoring and Machine Learning」(持続血糖モニタリングと機械学習による2型糖尿病の代謝サブフェノタイプの予測)」です。 糖尿病の詳細分類がもたらす医療の進化 米国では、約13%(約4000万人)が糖尿病と診断され、9800万人が糖尿病予備軍とされています。このため、より詳細な診断を提供できる技術は、糖尿病ケアを根本から変革する可能性を秘めて

海洋細菌をウイルスから守る新たなtRNA依存型防御メカニズムを発見 私たちはウイルスや細菌を病気の原因として捉えることが多いですが、実は、細菌とバクテリオファージ—細菌を特異的に感染するウイルス—の絶え間ない攻防も科学的に非常に興味深い現象です。特に海洋では、ウイルス感染が細菌の主要な死因となることがあり、この戦いは細菌とウイルスの共進化を促す重要な要因となっています。細菌が進化の過程で防御メカニズムを獲得してこなければ、すでに海洋の細菌群は絶滅していたかもしれません。このたび、イスラエル工科大学(テクニオン)生物学部の研究者らは、細菌がtRNAレベルを低下させることでウイルス感染を防ぐ新たな受動的防御メカニズムを発見しました。本研究は、2025年1月3日にNature Microbiology誌に掲載されました。論文タイトルは、「Adaptive Loss of tRNA Gene Expression Leads to Phage Resistance in a Marine Synechococcus cyanobacterium」(tRNA遺伝子発現の適応的低下が海洋シネココッカス属シアノバクテリアにおけるファージ耐性を誘導する)」です。 海洋細菌シネココッカスのtRNA量低下によるウイルス耐性 本研究は、海洋シアノバクテリア「シネココッカス」と、それを感染するバクテリオファージ「Syn9」の相互作用に焦点を当てています。 シネココッカスは光合成によって酸素を生産する原核生物であり、海洋の食物連鎖の基盤を形成する重要な一次生産者です。しかし、もしウイルスに対する防御メカニズムを持っていなければ、バクテリオファージの脅威によって絶滅していた可能性があります。 今回、テクニオンの研究チームは、シネココッカスがtRNA(転移RNA)のレベルを低下させるこ

カンブリア紀の捕食と防御の進化—5億1700万年前の進化的軍拡競争を示す貝殻の痕跡 米国自然史博物館の研究チームは、進化の軍拡競争 の最も古い証拠を化石記録から発見しました。この5億1700万年前の捕食—防御の相互作用は、現在の南オーストラリアを覆っていた古代海洋で発生し、腕足動物に近縁な小型の貝殻生物と、その貝殻を貫通できる未知の捕食者との間で繰り広げられました。本研究は、2025年1月3日にCurrent Biology誌に掲載され、カンブリア紀における進化的軍拡競争の確固たる証拠を提供する初めての論文となりました。 捕食と進化の軍拡競争がカンブリア紀の生物多様性を促進 「捕食者と獲物の相互作用は、カンブリア爆発の主要な推進力であるとよく言われます。特に、この時期に生物が急速に多様化し、バイオミネラルを利用した硬い外骨格を持つ生物が増えた背景として注目されています。しかし、捕食に対して獲物が直接適応し、それに応じて捕食者も進化していたという実証的な証拠はこれまでほとんどありませんでした。」と、本研究の筆頭著者であり、米国自然史博物館古生物学部門の博士研究員ラッセル・ビックネル(Russell Bicknell, PhD)は述べています。 進化的軍拡競争とは、捕食者と獲物が互いに適応しながら進化し続ける過程のことです。捕食者の能力が向上すると、それに対応して獲物も防御能力を高めるため、この動的な関係は「軍拡競争」とも形容されます。 ビックネル博士と、オーストラリアのニューイングランド大学およびマッコーリー大学の共同研究者らは、初期カンブリア紀の小型貝殻生物「Lapworthella fasciculata」の化石200点以上を分析しました。これらの化石は、わずか砂粒より少し大きいサイズから、リンゴの種より小さいサイズの範囲で見つかりました。 興味深いことに

脳・脊髄損傷や神経変性疾患の回復を再定義する可能性を持つ画期的な生体材料 英・バース大学とキール大学の研究者らが、神経幹細胞(の成長を促進する新しい複合材料を開発しました。この材料は、中枢神経系(CNS)の損傷や神経変性疾患の新たな治療法としての可能性を秘めています。この革新的な材料はセルロースと圧電セラミック粒子から作られており、持続可能性に優れ、脳や脊髄の損傷を修復する特性を持っています。さらに、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患の治療にも応用できる可能性があります。2025年1月6日にCell Reports Physical Sciences誌に発表された論文では、この材料の詳細が解説されています。論文タイトルは、「3D Piezoelectric Cellulose Composites As Advanced Multifunctional Implants for Neural Stem Cell Transplantation」(神経幹細胞移植のための先進的な多機能3D圧電セルロース複合インプラント)」です。 電気活性を持つ移植用材料が脳・脊髄の細胞再生を促進 バース大学とキール大学の専門家が開発した3D圧電セルロース複合材料は、神経幹細胞(NSCs)を損傷部位に精密に移植できる「足場」として機能し、ニューロンや関連組織の修復・再生を促進することが明らかになりました。 研究チームは、エンジニア、化学者、神経科学者の専門知識を結集し、運動機能・感覚機能・認知機能の回復を目指す新たな治療法の可能性を探求しています。脳や脊髄の外傷性損傷(TBI・SCI)に加え、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患にも応用できる可能性があります。 「この生体材料は、中枢神経系の損傷や神経変性疾患からの回復の概念を再定義する可能性を

細胞タイプ別エピジェネティック時計が生物学的年齢を測定—老化研究の新たなブレイクスルー 2024年12月29日に、Aging(MEDLINE/PubMedでは「Aging (Albany NY)」、Web of Scienceでは「Aging-US」)のVolume 16, Issue 22の表紙を飾る優先研究論文(Priority Research Paper)が発表されました。論文タイトルは、「Cell-Type Specific Epigenetic Clocks to Quantify Biological Age at Cell-Type Resolution」(細胞タイプ別エピジェネティック時計による生物学的年齢の測定)」です。本研究は、中国科学院(Chinese Academy of Sciences)およびオーストラリア・モナシュ大学(Monash University, Melbourne, Australia)の研究チームによって行われました。彼らは、個々の細胞タイプの老化を測定する新しい手法を開発し、アルツハイマー病や肝疾患などの病態解明に役立つ可能性を示しました。このツールにより、より正確な健康評価が可能となり、標的を絞った治療法の開発につながると期待されています。 生物学的年齢の測定とエピジェネティック時計の進化 生物学的年齢とは、個人の実年齢とは異なり、体の老化度合いを示す指標です。これまでの研究では、DNAメチル化のパターンに基づく「エピジェネティック時計(Epigenetic Clocks)」が、生物学的年齢の推定に用いられてきました。しかし、従来の方法は、特定の組織全体の細胞をまとめて分析するため、組織を構成する異なる細胞タイプごとの老化プロセスを詳細に把握することが困難でした。 この課題に対応するため、フイゲ・トン(Huige

感覚の交差点—マウスの母性行動が示す社会的信号処理の仕組み もし、食事の香りがわからず、ディナーベルの音も聞こえなかったら? それは夢のような状況かもしれません。しかし、もしそれが現実だったら?私たちは世界を体験し、人と関わる際に、すべての感覚を使っています」と、コールド・スプリング・ハーバー研究所(Cold Spring Harbor Laboratory, CSHL)のスティーブン・シェイ博士(Stephen Shea, PhD)は語ります。「これは人間だけでなく動物にも当てはまります」。しかし、自閉症などの発達障害では、脳が入ってくる情報を適切に処理できず、会話やデートなどの社会的なやり取りを円滑に行うための手がかりを解釈することが困難になる場合があります。 こうした信号が脳内でどのように統合され、相互に影響を与えているのかは、まだ完全には解明されていません。そこで、シェイ博士と大学院生のアレクサンドラ・ノーラン(Alexandra Nowlan)は、マウスの「子育て行動(pup retrieval)」において、嗅覚と聴覚がどのように相互作用するのかを追跡しました。 この行動は母親だけでなく、代理の養育者(継母やベビーシッターのような存在)**も学習できるものです。 嗅覚と聴覚の統合—脳内の感覚処理ネットワーク 「子育て行動(pup retrieval)は、母親や養育者にとって最も重要な行動の一つです。この行動には、子どもの匂いを嗅ぐことと鳴き声を聞くことが必要です。これらの感覚が重要であるならば、それらが脳のどこかで統合される可能性があります。」と、シェイ博士は説明します。 研究チームが特に注目したのは、「基底扁桃体(basal amygdala, BA)」と呼ばれる脳の領域です。 マウスとヒトの両方において、基底扁桃体は社会的および感情

ハンチントン病に関連するタンパク質凝集体の詳細な構造を解明—新たな診断・治療法開発へ前進 ノルウェー・ベルゲン大学の研究者マルクス・ミエッティネン博士(Markus Miettinen, PhD)は、ハンチントン病(Huntington’s disease, HD)に関連するタンパク質凝集体の詳細な構造を明らかにした最初の科学者の一人です。本研究成果は、2024年12月30日にNature Communications誌に発表されました。論文タイトルは、「Integrative Determination of Atomic Structure of Mutant Huntingtin Exon 1 Fibrils Implicated in Huntington Disease」(ハンチントン病に関与する変異型ハンチンチンExon 1フィブリルの統合的原子構造解析)」です。「この研究がハンチントン病の治療法につながることを期待しています。タンパク質凝集体の構造を理解することは、疾患の発症メカニズムを解明するための重要な要素です。今回の分子レベルでの発見は、診断ツールや画像診断技術の開発に不可欠な基盤となります」と、ベルゲン大学計算生物学ユニット(Computational Biology Unit)のミエッティネン博士は述べています。 先駆的な手法でタンパク質凝集体を可視化 ハンチントン病は、遺伝性の変異によって異常なタンパク質凝集体が形成される致死的な疾患です。これらの凝集体は病態形成に関与すると考えられていますが、これまでの研究では、原子レベルでの詳細な構造は不明でした。 本研究では、高度な計算機シミュレーションと実験的手法を組み合わせることで、疾患関連のタンパク質凝集体の詳細な構造を初めて可視化することに成功しました。 この手法は、構造生物学の未来を

アルツハイマー病とHSV-1(単純ヘルペスウイルス1型)の意外な関連を発見—脳の免疫応答がカギに ピッツバーグ大学の研究チームとその共同研究者らは、アルツハイマー病と単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)との意外な関連性を明らかにしました。この研究成果は、2025年1月2日にCell Reports誌に掲載されました。論文タイトルは、「Anti-Herpetic Tau Preserves Neurons Via the cGAS-STING-TBK1 Pathway in Alzheimer’s Disease」(抗ヘルペス作用を持つタウがcGAS-STING-TBK1経路を介してアルツハイマー病における神経細胞を保護する)」です。 また、本研究では、アルツハイマー病の原因とされるタウ(tau)タンパク質が、初期には脳をウイルスから保護する役割を果たす可能性がある一方で、後に神経変性を引き起こす可能性があることも示されました。これらの知見は、感染症と脳の免疫応答を標的とした新たな治療法の開発につながる可能性があります。 タウタンパク質の二面性とウイルス感染の影響 「本研究は、タウタンパク質が単に有害なものではなく、脳の免疫防御の一部として機能する可能性があることを示しています」と、本研究の責任著者であり、ピッツバーグ大学眼科学部(Department of Ophthalmology, University of Pittsburgh)助教授のオル・シェメシュ博士(Or Shemesh, PhD)は述べています。「この発見は、感染症、免疫応答、神経変性の複雑な相互作用を強調し、新たな治療標的の可能性を提供します。」 研究チームは、アルツハイマー病患者の脳サンプルからHSV-1関連タンパク質を特定し、そのウイルス性タンパク質がリン酸化タウ(アルツハ

太古の生命は「どう呼吸した」? イエローストーン温泉に進化の謎を探る 地球に酸素がほとんどなかった太古の時代、生命はどのように呼吸し、生き抜いていたのでしょうか?そして、約24億年前に起きた「大酸化イベント」を経て、酸素が豊富な現在の環境へと、どのように適応していったのでしょう?この生命進化の壮大な謎を解き明かす鍵は、なんと国立公園の温泉の中に隠されていました。モンタナ州立大学(MSU: Montana State University)の研究チームは、イエローストーン国立公園の熱水泉に生息する古代の微生物に着目。過酷な環境で生きる小さな生命体の「呼吸」の仕組みを調べることで、地球と生命の歴史における大きな転換点に迫ろうとしています。彼らの発見は、私たちが知る生命の起源と進化の物語に、新たな1ページを加えるかもしれません。 Nature Communications誌の新しい論文で、MSU農学部(College of Agriculture)の科学者たちは、古代の微生物が先史時代の低酸素環境から今日のより酸素が豊富な環境へとどのように適応したかについての新たな知見を明らかにしました。この研究は、MSU教授であるビル・インスキープ(Bill Inskeep)によるイエローストーン国立公園での20年以上にわたる科学研究に基づいています。このオープンアクセスの論文は2025年1月2日に公開され、タイトルは「Respiratory Processes of Early-Evolved Hyperthermophiles in Sulfidic and Low-Oxygen Geothermal Microbial Communities(硫化物を含む低酸素地熱微生物群集における初期進化した超好熱菌の呼吸プロセス)」です。 著者である土地資源・環境科学科(Departmen

ジストロフィンの分子レベルでの機能解明が筋ジストロフィー治療の基盤を提供 筋肉の安定性に不可欠なタンパク質であるジストロフィン(dystrophin)とそのパートナーであるジストロブレビン(dystrobrevin)の複雑な相互作用を明らかにした画期的な研究が発表されました。本研究は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)の理解と治療法開発に新たな道を開く可能性があります。 この研究は2024年12月31日にJournal of Biological Chemistry誌に掲載され、ジストロフィンのC末端(C-terminal, CT)ドメインの役割と、それがさまざまな組織の細胞膜を安定化する仕組みを特徴づけました。論文タイトルは「Biophysical Characterization of the Dystrophin C-Terminal Domain: Dystrophin Interacts Differentially with Dystrobrevin Isoforms」(ジストロフィンC末端ドメインの生物物理学的特性解析:ジストロフィンは異なるジストロブレビンアイソフォームと異なる相互作用を示す)」です。 デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)治療への新たな手がかり デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)は、ジストロフィン遺伝子の変異によって引き起こされる重篤な遺伝性疾患であり、筋力低下や寿命の短縮を伴います。現在の治療法は患者の寿命を延ばすことができますが、その高額な費用と限られた効果が課題となっており、より広範な治療アプローチの必要性が指摘されています。 「この研究は、ジストロフィンとジストロブレビンの相互作用の精緻なダイナミクスを解明し、DMDの治療開発に重要な知見を提供します。」と述べるのは、本研究の責任著者であ

遺伝子変異は初期には有益、後に代償をもたらす可能性—ハンチントン病研究が示す新たな視点 ハンチントン病(Huntington’s disease, HD)は、運動機能の低下や認知機能の衰えを引き起こす重篤な脳疾患ですが、その原因となる遺伝子変異が初期の脳発達を促進し、人間の知能向上にも関与している可能性があることが明らかになりました。この発見は、ハンチントン病の遺伝子を持つ子どもや若年成人を対象に、10年以上にわたる脳画像解析や運動・認知・行動評価を含むデータを収集した研究から得られたものです。この研究によると、HDの遺伝子変異を持つ子どもは、変異を持たない子どもに比べて脳が大きく、IQも高いことが判明しました。「この発見は、遺伝子変異が初期の脳発達に有益な影響を与える一方で、その後の人生で負の影響へと転じることを示唆しています」と、アイオワ大学カーバー医科大学(University of Iowa Carver College of Medicine)精神医学教授であり本研究の責任著者であるペグ・ノポロス博士(Peg Nopoulos, MD)は述べています。本研究は、2024年8月8日にThe Annals of Neurology誌に掲載されました。論文タイトルは、「Mutant Huntingtin Drives Development of an Advantageous Brain Early in Life: Evidence in Support of Antagonistic Pleiotropy」(変異型ハンチンチンが初期の脳発達を促進する—拮抗的多面発現の証拠)です。 ハンチントン病治療法開発への影響 この発見は、HDの治療法開発に対しても重要な示唆を与えます。遺伝子の初期の働きが有益である場合、単に遺伝子を抑制するだけでは、その発達上の利益

キャシー・バー教授が語る神経発達疾患の遺伝的基盤—Genomic Press独占インタビュー Genomic Pressの独占インタビューにおいて、著名な遺伝学者であるキャシー・バー博士(Cathy Bar, PhD)が、遺伝子と小児精神疾患の複雑な相互作用に関する重要な発見を明らかにしました。トロントにあるサイキッズ病院(Hospital for Sick Children)およびクレンビル研究所(Krembil Research Institute)の主任研究員(Senior Scientist)を務めるバー博士の研究は、うつ病、注意欠如・多動症(ADHD)、読字障害、トゥレット症候群などの疾患の遺伝的基盤を解明するものです。 「長年にわたり精神疾患に関与する遺伝子を探し求めてきましたが、現在では多数のリスク遺伝子が特定されています」とバー博士は説明します。「今後の課題は、遺伝的変異が遺伝子や細胞の機能をどのように変化させるのかを理解することです。私たちは複数の分子技術と幹細胞由来の神経細胞を用いて、遺伝的変異が細胞機能に与える影響を解明しようとしています。」 遺伝学への道—バー博士の研究の原点 バー博士が遺伝学研究の道を歩み始めたのは、高校の生物学の授業での出来事がきっかけでした。ある医学生が遺伝疾患について発表したことが、彼女の関心を大きく刺激したのです。この早い段階での遺伝学と疾患の関わりへの興味が、彼女の研究者としてのキャリアを決定づけました。そして現在、彼女の研究は神経発達疾患を持つ子どもがうつ病を発症するリスクが5倍に増加する理由の解明に貢献しています。 最先端のCRISPR技術と幹細胞モデルを組み合わせた革新的なアプローチにより、バー博士とその研究チームはDNA変異が神経細胞の挙動にどのような影響を与えるのかを明らかにしつつあります。この研

加齢黄斑変性(AMD)に対する点眼治療の開発が患者の利便性を向上 加齢黄斑変性(AMD)は、65歳以上の人々における視力低下の主な原因であり、黄斑の異常な変化によって視力が低下し、物が歪んで見える疾患です。AMDの90%を占める萎縮型AMD(ドライAMD)は比較的軽度な視力障害を引き起こしますが、約30%の患者は10年以内に視力が大きく損なわれる滲出型AMD(ウェットAMD)へと進行します。2023年時点で米国食品医薬品局(FDA)に承認されたドライAMDの治療法は2種類の注射薬のみですが、硝子体内注射による合併症のリスクや視力回復効果が限定的であることが課題とされています。 韓国科学技術研究院(Korea Institute of Science and Technology、KIST、院長:オ・サンロク)の天然物創薬センター(Natural Product Drug Development Center)のソ・ムンヒョン博士(Moon-Hyeong Seo, PhD)率いる研究チームは、新たなドライAMD治療薬を開発しました。この治療薬は、点眼薬として投与可能です。点眼薬は眼科領域において最も好まれる薬剤投与法ですが、眼の後部に位置する網膜を標的とする点眼薬の開発は依然として大きな課題となっています。 点眼治療の開発に向けたアプローチ 研究チームは、注射治療の限界を克服するため、加齢黄斑変性(AMD)の病態に重要な役割を果たすことが知られているトル様受容体(Toll-like receptors, TLRs)の炎症シグナル伝達経路に着目しました。研究者らは、自然界に存在するTLRシグナル伝達タンパク質と類似した構造を持つ数万種類のタンパク質からペプチド配列を抽出し、19万種類以上のペプチド創薬(Drug Discovery)候補を含む大規模ライブラリー

マサチューセッツ総合病院ブリガム主導の研究が、90件の神経画像研究の結果を統合し、統合失調症に特有の脳ネットワークを発見—治療計画に新たな示唆 マサチューセッツ総合病院ブリガム(Mass General Brigham)の研究チームが、統合失調症に関連する脳萎縮(atrophy: 脳の縮小)の多様なパターンを結びつける特有の脳ネットワークを発見しました。8,000人以上の参加者を対象とした複数の神経画像研究のデータを統合することで、研究チームは統合失調症の異なる段階や症状に共通する特定の脳の結合パターンを特定しました。このパターンは、他の精神疾患に関連する脳ネットワークとは異なることが確認されました。本研究の成果は、統合失調症ネットワークに関連する脳刺激部位を評価する臨床試験(患者募集予定)の指針となる見込みです。 本研究の結果は、2024年12月12日付で『Nature Mental Health』誌に掲載されました。論文のタイトルは、「Heterogeneous Patterns of Brain Atrophy in Schizophrenia Localize to a Common Brain Network(統合失調症における異種の脳萎縮パターンは共通の脳ネットワークに局在する)」です。 「統合失調症が脳にどのような影響を及ぼすのか、既存の報告の共通点を探りました。」と、本研究の責任著者であるアーメド・T・マクルーフ医学博士(Ahmed T. Makhlouf, MD)は述べています。 「統合失調症では、脳のさまざまな部位で萎縮が見られますが、それらはすべて単一のネットワークに結びついていることが分かりました。」 統合失調症の神経解剖学的研究は大規模に行われてきましたが、結果のばらつきや手法の違いにより、脳萎縮に関連する神経回路の理解は

2025年1月8日に『Nature』誌に発表された大規模な研究によると、病気を引き起こすアミノ酸置換型の突然変異の多くは、タンパク質の安定性を低下させることで影響を及ぼしていることが判明しました。不安定なタンパク質は誤って折りたたまれたり、分解されたりしやすくなり、その結果、機能しなくなったり、細胞内に有害な量で蓄積したりする可能性があります。本研究のオープンアクセス論文は、「Site-Saturation Mutagenesis of 500 Human Protein Domains(500のヒトタンパク質ドメインにおける部位飽和変異導入)」と題されています。本研究は、ヒトゲノムにおける最小限の変化、いわゆるミスセンス変異が分子レベルでどのように病気を引き起こすのかを解明するのに貢献しました。研究者らは、タンパク質の不安定性が遺伝性白内障の主要な要因の一つであることを突き止め、さらに神経疾患、発達障害、筋萎縮性疾患にも関与していることを明らかにしました。 バルセロナのゲノム制御研究センター(Centre for Genomic Regulation:CRG)と深センのBGIの研究者らは、よく知られた病原性ミスセンス変異621種類を調査しました。その結果、全体の61%(3分の2以上)の変異がタンパク質の安定性を低下させることが確認されました。 研究では、特定の疾患関連変異を詳しく調査しました。例えば、ベータ-ガンマクリスタリン(beta-gamma crystallins)は、ヒトの眼のレンズの透明性を維持するために不可欠なタンパク質群です。研究者らは、白内障の発症と関連する変異のうち72%(18種類中13種類)がクリスタリンタンパク質の安定性を低下させ、タンパク質が凝集しやすくなり、レンズ内に不透明な領域を形成することを明らかにしました。 さらに、研究では還元

アルツハイマー病の進行を遅らせ、さらには逆転させる可能性のある新たな治療標的を発見 ニューヨーク市立大学大学院センター先端科学研究センター(Advanced Science Research Center at the City of New York Graduate Center, CUNY ASRC)の研究者らは、脳内の細胞ストレスがアルツハイマー病(AD)の進行とどのように関連しているかを解明しました。本研究は2024年12月23日付で『Neuron』誌に掲載され、「A Neurodegenerative Cellular Stress Response Linked to Dark Microglia and Toxic Lipid Secretion(神経変性を伴う細胞ストレス応答—ダークミクログリアと毒性脂質分泌との関連)」というタイトルで発表されました。 本研究では、脳の主要な免疫細胞であるミクログリアが、アルツハイマー病の進行において保護的な役割と有害な役割の両方を担っていることを明らかにしました。ミクログリアは「脳の第一応答者」とも呼ばれ、アルツハイマー病の病理において重要な因果細胞として注目されています。しかし、一部のミクログリアは脳の健康を守る一方で、他のミクログリアは神経変性を悪化させることが知られています。この異なるミクログリア集団の機能的違いを解明することが、本研究の主著者であり、CUNY ASRC神経科学イニシアティブおよびCUNY大学院センター生物学・生化学プログラムの教授であるピナー・アヤタ博士(Pinar Ayata, PhD)の研究テーマとなっています。 「アルツハイマー病において有害なミクログリアとは何か、そしてそれをどのように治療標的とすることができるのかを明らかにすることを目指しました。」とアヤタ博士は語ります

インディアナ大学医学部の研究者らによる研究により、トキソプラズマ・ゴンディが休眠段階に入るために必要なタンパク質をどのように作り出すかについて、新たな知見が明らかになりました。この休眠状態に入ることで、寄生虫は薬剤治療を逃れることができます。本研究は、Journal of Biological Chemistry誌に特別な評価を受けて掲載されました。 本論文のタイトルは、「Cap-Independent Translation Directs Stress-Induced Differentiation of the Protozoan Parasite Toxoplasma gondii(キャップ非依存的翻訳が原生動物寄生虫トキソプラズマ・ゴンディのストレス誘導型分化を指示する)」です。 トキソプラズマ・ゴンディは単細胞の寄生虫であり、ネコの糞、未洗浄の野菜、または加熱不十分な肉を介して人に感染します。この寄生虫は世界人口の最大3分の1に感染しているとされ、軽い病気を引き起こした後、休眠段階に入り、脳を含む体内のさまざまな場所にシスト(嚢胞)として潜伏します。 トキソプラズマのシストは、行動変化や統合失調症のような神経疾患との関連が指摘されています。また、免疫系が弱まった際に再活性化し、生命を脅かす臓器障害を引き起こす可能性があります。現行の薬剤ではトキソプラズマ症を寛解に導くことはできますが、完全に除去する方法はありません。そのため、寄生虫がどのようにシストを形成するのかをより深く理解することが、根本的な治療法の開発に繋がると考えられています。 インディアナ大学医学部のショーウォルター教授(Showalter Professor)である ビル・サリバン博士(Bill Sullivan, PhD)とロナルド・C・ウェク博士(Ronald C

未知のRNA要素「オベリスク」の発見—ヒトマイクロバイオームに広く分布する新たな遺伝因子 米国、スペイン、カナダの研究者らは、2024年11月に発行されたCell誌の創刊50周年記念号において、「オベリスク(obelisks)」と名付けられた新規の遺伝性RNA要素を報告しました。このRNA要素は、これまでに知られるいかなる生物学的因子とも類似性を持たず、その機能も不明ですが、ヒトマイクロバイオームを含む多様な生態系に存在することが明らかになりました。特に、ヒト口腔マイクロバイオームにおいて極めて高い頻度で検出 されています。 この研究は、ノーベル賞受賞者であるスタンフォード大学のアンドリュー・Z・ファイア博士(Andrew Z. Fire, PhD)が主導し、2024年11月14日にCell誌に「Viroid-Like Colonists of Human Microbiomes(ヒトマイクロバイオームにおけるビロイド様RNAコロニー)」というタイトルで発表されました。 ビロイド:最小RNA要素の新たな定義 B型肝炎ウイルスデルタ抗原(HDV)様ウイルス性衛星(Hepatitis delta-like viral satellites)やその他のビロイド(viroids)は、タンパク質をコードせず、外被タンパク質を持たない病原性の遊離RNA分子 です。 RNAウイルス(リボウィリア: Riboviria)が自身の複製機構をコードするのに対し、ビロイドは宿主のRNAポリメラーゼを利用して複製を行う ため、生物学的情報伝達の限界を定義するほど小さなゲノム(典型的なビロイド:約350ヌクレオチド、HDV:約1.7キロベース)を持ちます。これまで、リボウィリアに比べてビロイドの既知の例は少数でした。 ビロイドは20世紀初頭に植物病理学者によって発見され、植物のゲノ

気候変動が季節を変化させ、作物に限界をもたらす 気候変動による季節の変化は、作物にとって大きな試練となっています。たとえば、春の終わりに突如発生する霜は、畑のイチゴに深刻な影響を及ぼします。一方で、野生種はより耐性が高いことが多いです。ドイツのカールスルーエ工科大学(Karlsruhe Institute of Technology, KIT)とその共同研究者らは、野生種のイチゴであるヘビイチゴ(Fragaria vesca)の寒冷ストレス応答を解明し、より耐寒性の高い品種の開発につなげる研究を行いました。その研究成果は、2024年7月18日に『ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・ボタニー(Journal of Experimental Botany)』に掲載されました(DOI: 10.1093/jxb/erae263)。 論文タイトルは「Cold Tolerance of Woodland Strawberry (Fragaria vesca) Is Linked to Cold Box Factor 4 and the Dehydrin Xero2(ヘビイチゴ(Fragaria vesca)の耐寒性はCold Box Factor 4およびデヒドリンXero2に関連する)」です。 過去の品種改良と耐性の欠如 これまでの農作物の品種改良は主に収量の向上を目的として行われてきましたが、その結果として耐性が犠牲にされてきました。 「気候変動によって、現代農業においても施肥や圃場管理による耐性の欠如を補うことが難しくなっています」と、カールスルーエ工科大学ヨーゼフ・ゴットリープ・ケルロイター植物科学研究所(Joseph Gottlieb Kölreuter Institute for Plant Sciences)のペーター・ニック教授(Peter Nic

「完璧な状態」— 世界初の塩基編集による鎌状赤血球症治療を受けた青年の物語 ブランデン・バプティスト(Branden Baptiste)は、2歳のときに初めて鎌状赤血球症(sickle cell disease)の発作を経験しましたが、その記憶はありません。小学生の頃は、原因もわからないまま痛みを伴う発作を繰り返し、入退院を繰り返していました。成長するにつれ、自身の赤血球が鎌状に変形し、血管に詰まることで組織に酸素が届かなくなる疾患であることを知りました。 「12歳の頃から症状が一気に悪化しました」と、現在20歳のブランデンは語ります。「ほぼ毎月のように病院に入院していました。」彼は毎年60日ほど学校を欠席していたと推定しています。 さらに、中学1年生のときに左股関節が壊死し、人工股関節置換手術を受けました。その後、右股関節も同様の手術が必要になりました。 命の危機を招いた急性胸症候群(ACS) 2020年、17歳のとき、彼の体はさらなる試練に直面しました。鎌状赤血球が肺の血管を詰まらせる合併症 「急性胸症候群(acute chest syndrome, ACS)」 を発症したのです。 「すべてが終わったと思いました。息ができなかった。少しでも吸い込むと、肺を刺されるような痛みを感じました。」と、ブランデンは振り返ります。恐怖に駆られ、彼は救急車を呼びました。 その年、彼は 4回もACSを発症 し、高校3年生の1年間をほぼ欠席しました。最も重篤な発作の際には、集中治療室(ICU)に運ばれる事態となりました。 「鎌状赤血球症の重症度は個人差があり、合併症の頻度や程度は変動します」と、ボストン小児病院(Boston Children’s Hospital)のマシュー・ヒーニー博士(Matthew Heeney, MD) は説明します。「残念ながら、ブラ

研究が示す、脳の免疫システムの関与 ドイツ神経変性疾患センター(DZNE)とルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(LMU)病院の科学者らは、Science Translational Medicine 誌において、ニーマン・ピック病C型(Niemann-Pick type C: NPC)に関する新たな知見を発表しました。NPCは、認知症を伴う稀な神経変性疾患であり、小児期から発症し、30歳頃までに死に至る場合もあります。本研究は、マウスモデル、細胞培養、そして患者データを基に、脳の免疫システムによって媒介される神経炎症(neuroinflammation)がNPCの進行に重要な役割を果たしていることを強調しています。さらに、病状のモニタリングや治療効果の評価に有用なバイオマーカーとして、「TSPO」と呼ばれる分子に注目しました。TSPOは、陽電子放射断層撮影(PET)を用いて脳内で検出可能な分子です。本研究の詳細は、2024年12月4日付の Science Translational Medicine に掲載されており、論文のタイトルは「Myeloid Cell-Specific Loss of NPC1 in Mice Recapitulates Microgliosis and Neurodegeneration in Patients with Niemann-Pick Type C Disease(ミクログリアの異常と神経変性を再現するマウスモデルによるNPC1欠損の解析)」です。 認知症は高齢者だけの病気ではない 「認知症は一般的に高齢者の病気と考えられていますが、小児期に発症し、30歳前後で死に至る認知症も存在します。ニーマン・ピック病C型(NPC)がその一例です」と、DZNEミュンヘン拠点の神経科学者であるサビナ・タヒロヴィッチ博士(Sabin

チョウ目昆虫(Lepidopterans:チョウとガ)の翅(はね)の色彩パターンは多様性に富んでおり、多くの種ではメラニンの有無に関連した黒白または暗色と明色の変異が見られます。これらの翅の色彩パターンの変異は、自然選択と進化の代表的な例として広く知られています。象徴的な例としては、19世紀後半のイギリスにおける工業化と石炭燃焼による環境の煤煙化に適応し、黒化型の出現頻度が急増したイギリスのシロモンヤガ (Biston betularia) や、Heliconius 属のチョウに見られる擬態的な多様化などが挙げられます。これらのチョウ目昆虫におけるメラニンの有無を左右する生態学的要因はよく研究されていますが、色彩変化の遺伝的・発生的なメカニズムについては、これまで不明な点が多く残されていました。 チョウとガはどのようにして翅を黒く、または白く染めるのか? 過去20年間の研究により、メラニンによる翅の色彩変異の多くが、タンパク質をコードする遺伝子「cortex」を含む特定のゲノム領域によって制御されていることが明らかになりました。このことから、cortex 遺伝子がメラニン色素のスイッチであると考えられてきました。しかし、シンガポール、日本、アメリカの国際研究チームは、この仮説を覆す新たな発見をしました。 シンガポール国立大学(National University of Singapore: NUS)生物科学部のアントニア・モンテイロ教授(Antónia Monteiro)とシェン・ティエン博士(Shen Tian, PhD)率いる研究チームは、cortex 遺伝子自体がメラニン色素のスイッチではないことを突き止めました。実際の色彩スイッチは、これまで見過ごされていたマイクロRNA(microRNA: miRNA)であることが判明したのです。 この研究成果は、2

転写因子が植物の発生を制御する驚くべき仕組みを解明 ペンシルベニア大学芸術科学部(University of Pennsylvania School of Arts & Sciences)のアマン・ハズバンズ博士(Aman Husbands, PhD)が率いる研究チームは、転写因子(TF: transcription factors)—すなわち遺伝子のスイッチとなる分子—が植物の発生をどのように制御するのか、その驚くべき仕組みを明らかにしました。植物やヒトを含む複雑な多細胞生物の中には、建設現場における設計図、道具、専門職人に相当する遺伝的要素が存在します。植物生物学者であるハズバンズ博士は、HD-ZIPIII 転写因子ファミリー(HD-ZIPIII transcription factors)と呼ばれる「熟練した下請業者」の働きを研究しています。これらの因子は、発生の過程でどの遺伝子を活性化し、どのような植物の形や機能を作り上げるかを決定する役割を担っています。例えば、植物の維管束系(ヒトでいう血管系に相当)や、根や葉の形状といった構造的要素を形成する際に重要な役割を果たします。 興味深いことに、HD-ZIPIIIファミリーの転写因子は、同じ遺伝子セットを共有し、同じ道具(タンパク質複合体など)を使用できるにもかかわらず、それぞれ独自の方法でこれらを解釈し、使用します。例えば、CORONA(CNA)やPHABULOSA(PHB)といった転写因子は、類似した機能を持ちながらも、異なる発生的な結果をもたらします。 「では、最も重要な疑問は何かというと、『なぜ異なる機能的結果が生じるのか?』ということです」とハズバンズ博士は語ります。 STARTドメインが異なる機能を生み出す仕組み 2024年11月14日に『Nature Communications』誌に

敗血症患者の臓器不全診断におけるエクソソームの可能性 敗血症患者において、臓器不全の発生源や位置を特定することは、損傷組織に特異的なバイオマーカーの欠如により困難でした。中国・西京病院の研究者らは、敗血症患者から分離されたエクソソームに関する論文をレビューし、この微小小胞が敗血症関連の臓器不全を早期に検出するための有望な研究対象であると結論付けました。本研究の成果は、2024年11月28日付で『Journal of Translational Medicine』に掲載されました。論文タイトルは「Exosomes As Novel Biomarkers in Sepsis and Sepsis Related Organ Failure(敗血症および敗血症関連臓器不全における新規バイオマーカーとしてのエクソソーム)」です。エクソソームは、健常細胞および損傷細胞の両方から放出される脂質膜小胞であり、放出元細胞の生物学的状態を反映したマクロ分子を運搬しています。 敗血症と臓器不全の深刻な影響 敗血症は、感染に対する制御不能な免疫応答によって引き起こされる生命を脅かす疾患です。米国では年間170万人が敗血症を発症し、少なくとも35万人が死亡しています。敗血症は複数の臓器系に影響を及ぼしますが、特に肺、腎臓、心臓、脳、肝臓に対する影響が深刻です。さらに、敗血症が進行し敗血症性ショックと呼ばれる段階に至ると、臓器不全が発生し、死亡リスクが著しく高まります。 臓器不全の診断の課題 単純な敗血症の診断には、高額な臨床検査、血液検査、画像診断が必要であり、臓器不全の進行に対して検査結果が得られるまでに時間がかかることが課題です。また、炎症を示すサイトカインや組織損傷に関連するバイオマーカーの測定は、一定の診断的価値を持つものの、時間がかかり、費用が高く、臓器特異性に欠ける

食料供給の危機と現代農業の課題 私たちは生きるために食べなければなりません。しかし、気候変動の影響により農作物の生産が不安定になり、世界の食料供給が脅かされています。現在の作物は収穫量を最大化し、栽培しやすいように改良されてきましたが、気候変動に対する耐性を失っています。異常気象が頻発する中、作物の収量は減少し、それに伴い食料価格が高騰しています。しかし、新たな農地を開拓することは持続可能ではなく、既存の作物を環境に適応させる必要があります。「農業は気候変動に非常に脆弱であり、異常気象の頻度と強度は今後さらに増加するでしょう」とFrontiers in Scienceに発表された論文の筆頭著者であるセルゲイ・シャバラ教授(Sergey Shabala)は述べています。「持続可能な農業生産と世界の食料安全保障は、気候変動に強い作物を開発できるかどうかにかかっています。」 食料生産の持続可能性と環境ストレス 現在の農業は、大量の肥料と単一品種(モノカルチャー)による生産システムに依存しています。この方法は過去数十年間、世界の食料需要を満たしてきましたが、環境への悪影響が問題視されています。 特に、肥料の製造・使用による環境汚染や、気候変動による作物の減収が深刻化しています。 例えば、以下の要因が作物の生産性を低下させています。 干ばつと高温 乾燥した環境では作物の生育が困難になります。また、高温によって光合成が阻害され、収量が低下します。 塩害 収量を維持するために灌漑を行いますが、使用される水には塩分が含まれることが多く、土壌の塩分濃度が上昇します。その結果、多くの作物の生育が阻害されます。 洪水と酸素不足 極端な気象による洪水は、作物の根が酸素を取り込むのを妨げ、成長を阻害します。 「持続可能な食生活の問題は、科学的・社

チンパンジーは、人間を除けば最も高度な記憶能力を持つ動物であることが知られております。彼らは果物が熟す時期や場所を正確に記憶し、この情報を活用してどの木を訪れるか、さらには翌朝最初に果物を食べるためにどこで寝るかまで決定するとされています。しかし、彼らが植物性の食物ではなく、動物性の食物を探し出す際にどのような認知戦略を用いているのかについては、未だ十分に解明されておりません。このたび、バルセロナ大学およびジェーン・グドール研究所スペインの研究者らが主導した研究により、アフリカの野生チンパンジーが、発見の難しい地下の巣に潜むアリ軍団を捕食する際に用いる、これまで知られていなかった認知能力が明らかになりました。本研究は、これらの霊長類がどのように空間記憶およびエピソード記憶に似た記憶を駆使し、地下に隠された社会性昆虫の巣から食料を得るのかを初めて明らかにしたものです。 本研究では、チンパンジーが野生環境において、動物性食物を長年にわたり獲得し続けるために必要な認知的課題をどのように克服するのかについて、初めて実証的な証拠が示されました。 この研究結果は、2024年12月5日に科学誌『Communications Biology』に掲載されました。本論文は、ヒト以外の霊長類の認知戦略に関する理解を深めるだけでなく、ヒトの認知能力の進化を再構築するための新たな知見を提供するものとなっています。本論文はオープンアクセスで公開されており、タイトルは「Wild Chimpanzees Remember and Revisit Concealed, Underground Army Ant Nest Locations Throughout Multiple Year(野生のチンパンジーは地下に潜む軍隊アリの巣の場所を何年にもわたって記憶し、再訪する)」です。 本研究を主導し

IRBバルセロナの研究が明らかにした、CPEB4タンパク質の欠損が神経発達に及ぼす影響 自閉症は、コミュニケーションや社会的行動に困難を伴う神経発達障害の一つであり、その原因の約20%は特定の遺伝子変異に起因するとされています。しかし、残り80%の「特発性自閉症」は、未だ明確な原因が解明されていません。このたび、バルセロナ生物医学研究所のラウル・メンデス博士(Raúl Méndez, PhD)およびシャビエル・サルバテリャ博士(Xavier Salvatella, PhD)が率いる研究チームは、神経タンパク質「CPEB4」の特定の変異が特発性自閉症に関連する分子メカニズムを解明しました。本研究は、2018年に発表された先行研究に基づいており、当時、CPEB4が自閉症関連の神経タンパク質を調節する重要な因子であることが判明していました。2018年の研究では、自閉症の個体においてCPEB4タンパク質の「微小エクソン」と呼ばれる小さな遺伝子セグメントが欠損していることが確認されました。そして今回、2024年12月4日付の『Nature』誌に掲載された研究により、この微小エクソンがCPEB4の凝集体(コンデンセート)の柔軟性を維持する役割を担っていることが明らかになりました。 このオープンアクセス論文は、「Mis-Splicing of a Neuronal Microexon Promotes CPEB4 Aggregation in ASD」(神経微小エクソンのスプライシング異常がCPEB4の凝集を促進し、自閉症に関与する)と題されています。 分子コンデンセートと遺伝子発現の調節 CPEB4タンパク質の微小エクソンを含む領域は、明確な三次元構造を持たないという特徴があります。このような無秩序な構造を持つタンパク質は、「コンデンセート」と呼ばれる細胞内の液滴状構

カリフォルニア二斑タコに発見された、約4億8000万年前から存在する性染色体 タコの新たな秘密が明らかになりました。それは「性別を決定する仕組み」です。オレゴン大学(University of Oregon:UO)の研究者らは、カリフォルニア二斑タコに性染色体を発見しました。この染色体は、おそらく約4億8000万年前、タコがオウムガイと進化的に分岐する以前から存在していたと考えられており、動物界で最も古い性染色体の一つです。この発見は、長年生物学者の間で議論されてきた「タコや他の頭足類(cephalopods:イカやオウムガイを含む海洋動物の一群)も、性別を染色体で決定しているのか?」という疑問に対する明確な答えとなります。 「頭足類はすでに非常に興味深い生き物であり、特に神経科学の分野ではまだまだ学ぶことがたくさんあります」と語るのは、UOでアンドリュー・カーン博士(Andrew Kern, PhD)の研究室に所属する博士課程の学生、ギャビー・コフィングさん(Gabby Coffing)です。 「これは、彼らに関するもう一つの興味深い発見です。非常に古い性染色体を持っているのです。」 この発見について、コフィングさん、カーン博士、そしてその研究チームは、2025年2月3日付で学術誌『Current Biology』にて発表しました。公開されたオープンアクセスの論文タイトルは「Cephalopod Sex Determination and Its Ancient Evolutionary Origin(頭足類における性決定とその古代進化的起源)」です。 ヒトを含む多くの哺乳類では、性別は主に染色体によって決定されます。しかし、「動物の性別決定の仕組みには非常に多様性があります」とカーン博士は述べています。そのため、科学者らはタコにも同様の仕組みがあるとは一概

視床下部の未知の神経細胞が発見され、新たな肥満治療の可能性が浮上 肥満は、米国の成人の40%、子供の20%に影響を与える深刻な健康問題です。最近では、新しい治療法が注目を集め、肥満の管理に一定の成果を上げていますが、脳と体の相互作用がどのように食欲を調節するのかについては、未だ多くの謎が残されています。この度、研究者チームは、視床下部に存在する新たな神経細胞集団を発見しました。この細胞群は食物摂取を調節し、肥満治療の新たな標的となる可能性があると考えられています。本研究成果は、2024年12月5日付の『Nature』誌に掲載され、「Leptin-Activated Hypothalamic BNC2 Neurons Acutely Suppress Food Intake(レプチン活性化視床下部BNC2ニューロンが急性の食物摂取抑制を誘導する)」というタイトルで公開されました。 この研究は、ロックフェラー大学(米国)、メリーランド大学医学部ゲノム科学研究所(IGS)、ニューヨーク大学、スタンフォード大学の共同研究チームによって行われました。 レプチン応答性ニューロンの発見 視床下部は、食欲調節・ホルモン制御・ストレス応答・体温調節などの生理機能を司る脳の重要な領域です。今回発見された新たな神経細胞群は、ホルモン「レプチン」に応答する特徴を持っています。 レプチンは脂肪細胞から脳へ送られるシグナルで、食欲を抑制する役割を担います。これまで、視床下部の特定のニューロン群がレプチンに応答することは知られていましたが、本研究では、これまで知られていなかった「BNC2ニューロン」が新たなレプチン応答性細胞であることが明らかになりました。 「私たちは以前の研究で、視床下部の発生過程をシングルセル技術でマッピングし、遺伝子の独自の調節プログラムが特殊な神経細胞集団を

AIと生物学の融合:スタンフォード大学のHie博士が開発した「Evo」とは? スタンフォード大学の進化設計研究室を率いるブライアン・ハイ博士(Brian Hie, PhD)は、人工知能(AI)と生物学の交差点に立ち、新たな研究領域を切り拓いています。彼が考えた一つの刺激的な問いが、最新の革新的なAIモデル「Evo」の誕生につながりました。「もしChatGPTのような言語モデルが、膨大なテキストデータのパターンを学習して新しい文章を生成できるならば、遺伝子コードを単語の代わりに置き換えた場合、何が起こるのか?」この単純に思える問いから生まれたのが「Evo」です。Evoは、遺伝子配列を生成する生成AIモデルであり、2024年11月15日付の科学誌『Science』に掲載された論文「Sequence Modeling and Design from Molecular to Genome Scale with Evo」にて、ハイ博士とArc Institute、カリフォルニア大学バークレー校の研究チームによって紹介されました。 Evoは、微生物やウイルスのゲノムの理解を深めたり、新しいタンパク質(つまり創薬)の設計を可能にしたりするほか、微生物を再プログラムして驚くべきタスクを遂行させることが期待されています。例えば、光合成の効率向上による二酸化炭素の固定化、農作物の収量増加、さらには海洋に漂うマイクロプラスチックの除去など、多様な応用が考えられます。 AIによるゲノム設計:Evoの革新性 従来、研究者は有望な遺伝子配列を見つけるために、自然界のデータを膨大に解析するか、試行錯誤による実験を繰り返すしかありませんでした。しかし、Evoの登場によって、このプロセスが大幅に効率化されます。 「これまでのような膨大な試行錯誤や自然界からの配列発掘に頼る必要がなく

野生のオスゾウは攻撃性・優位性・友好的な行動において一貫した個体差を示す スタンフォード大学およびハーバード大学環境センターに所属するケイトリン・オコネル=ロドウェル氏、米国ユートピア・サイエンティフィックのジョディ・L・ベレジン氏らによる研究チームは、2024年12月4日、オープンアクセスジャーナル「PLOS ONE」において、アフリカゾウのオスはそれぞれ特有の性格特性を持ちながらも、社会的な状況に応じて行動を適応させることを明らかにした研究論文を発表いたしました。本論文のタイトルは「Consistency and Flexibility of Character in Free-Ranging Male African Elephants Across Time, Age, and Social Contexts(野生環境におけるアフリカゾウのオスの性格の一貫性と柔軟性:時間・年齢・社会的文脈にわたる変化)」です。 多くの動物において、個体ごとの行動には一貫した違いが見られ、これは「性格」または「気質」として説明されることがあります。ゾウは極めて知能が高く、豊かな社会性を持つことで知られており、過去の研究において、飼育下のゾウが明確な性格タイプを示すことが報告されております。野生環境においては、メスのゾウは生涯を通じて家族群の中で生活しますが、オスは成熟すると群れを離れ、優位性の階層が形成された緩やかなオス同士の社会に加わります。 本研究では、野生環境におけるゾウの性格特性について理解を深めるため、2007年から2011年の間に、ナミビアのエトーシャ国立公園に生息する34頭のアフリカサバンナゾウの行動を詳細に観察いたしました。その結果、個体間で一貫して異なる5つの行動パターンが特定されました。それらは、攻撃的行動、優位性を示す行動、友好的な社会的交流、自

スリングショットスパイダーは「音を聞いて」蚊を捕らえる:瞬時に発射される狩猟ネットの秘密 古代ローマの剣闘士(グラディエーター)には、網と三叉槍(トライデント)を武器に戦う「レティアリウス」と呼ばれる戦士がいました。彼らは、重装備の敵を素早く網で絡め取り、勝利を掴むことを狙いました。驚くべきことに、ある種のクモもこれと同じ戦略を用いて狩りを行います。スリングショットスパイダーは、水平に張った円形の巣の中央部分を引き下げ、円錐形の形状を作ります。このとき、クモは円錐の先端に位置し、巣を固定するために張った緊張した「アンカー糸」をつかんでいます。獲物が近づいた瞬間、このアンカー糸を解放し、巣全体を前方へと弾き飛ばすことで、獲物を粘着性のある網に絡め取るのです。 2021年、ジョージア工科大学のサード・バフマラ博士(Saad Bahmla, PhD)とアクロン大学のトッド・ブラックレッジ博士(Todd Blackledge, PhD)らの研究チームは、クモを騙してこのネットを発射させることができることを発見しました。方法は意外にもシンプルで、「指を鳴らすだけ」でした。では、スリングショットスパイダーは獲物が接触する前から何らかの方法で獲物の存在を察知し、ネットを発射しているのでしょうか? この疑問を解明するため、アクロン大学のサラ・ハン博士(Sarah Han, PhD)とブラックレッジ博士は、スリングショットスパイダーが飛来する獲物の音を「聞き分け」、適切なタイミングで網を発射しているのかを検証しました。研究結果は2024年12月4日付で『Journal of Experimental Biology』に掲載され、論文タイトルは「Directional Web Strikes Are Performed by Ray Spiders in Response to Ai

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