最初にエドマン分解を利用したプロテインシークエンサーによるタンパク質同定法について述べたい。プロテインシークエンサーではN末端のαアミノ基をPITCで修飾することからエドマン分解が始まるので、N末端αアミノ基がフリーでなければならない。プロテインシークエンサーではタンパク質を電気泳動後にPVDF膜に転写できれば、10ピコモル程度でN末端から10残基程度のアミノ酸配列を決定することは比較的容易である。   しかしながら、自然界の多くのタンパク質はN末端が修飾されているので、プロテインシークエンサーで配列を決定するためにはプロテアーゼでペプチド断片を調製する必要がある。 エドマン分解で得られるアミノ酸配列は結論的な結果であるので、質量分析全盛の今でも用途を選ぶことで非常に有用な解析手法である。タンパク質の正確な配列決定に加えて、限定分解部位の決定や糖鎖などの修飾部位の特定に有用である。さらにアミノ酸配列のβ転移有無の確認やタンパク質の純度検定にも利用できる。さて、プロテインシークエンサーでうまく配列決定するためのポイントは、サンプルの純度である。ひとことで純度といっても、多くの要素が含まれる。例えば、目的タンパク質の純度、電気泳動で単一にみえるバンドであっても別のタンパク質が含まれていれば複数のアミノ酸が検出されて配列決定が困難となる。 さらに、N末端アミノ酸が均一であること。目的タンパク質が高純度であっても、プロセッシング等によりタンパク質のN末端が不均一になっていることはよくある。この場合も複数のアミノ酸が検出されて配列の決定が困難になる。次に人為的なコンタミネーションの例を挙げる。電気泳動で単一のバンドをPVDF膜へ転写、染色・脱色、切り出しの操作中にケラチンが汚染することがある。 また、電気泳動後の操作に使用する容器をウエスタンブロッティングと併用していたため

質量分析によるタンパク質同定は、これまでのプロテインシークエンサーによる同定の世界を大きく変えることになった。例えば、プロテインシークエンサーでは1ピコモルのN末端ブロックタンパク質の配列を決定するために、これまでに多くの技術開発を行ってきた。質量分析ではそれほどの経験がなくてもフェムトモルレベルのタンパク質をN末端のブロックに関係なく同定することが可能である。   質量分析によるタンパク質同定法は自動化・ハイスループット化が容易であることから、プロテオミクスの世界を拓くことになった。質量分析による同定技術は、プロテインシークエンサーで開発確立された技術が基本となっている。特に、電気泳動で分離したタンパク質をゲル中でプロテアーゼ消化する方法(in-gel digestion)は、内部配列決定のために確立された手法である。今では質量分析を用いたプロテオミクスの世界で必須の技術となっている。質量分析によるタンパク質同定では、プロテアーゼによるペプチド断片群の精密質量測定値の組み合わせとデータベース配列の断片化理論値との一致度を統計学的に判定する。 断片の精密質量を利用したタンパク質同定は、MALDI-TOF MS によるペプチドマスフィンガープリント(PMF)と呼ばれる。PMFは、測定質量が正確であるほどに組み合わせに使用するペプチド断片の数は少なくてよい。逆に、質量測定値の誤差が大きい場合は、ペプチド断片の数を多くすることでタンパク質同定の正確さを向上させることができる。少々乱暴な言い方ではあるが、利用できる質量分析装置の精度が少々悪くても、タンパク質の量を多くしたり、in-gel digestion の効率を上げることによって、利用できるペプチド断片の数を増やすことでタンパク質同定が可能になる。MALDI-TOF MSは測定が比較的簡便で、オフラインで繰り返して測定で

質量分析ではPMFとは別にMS/MSによるタンパク質同定がよく行われる。原理については、成書を参考にしていただき、ここでは同定のための注意点やコツについて述べたい。よく使われているシステムにTOF/TOFとLC-MS/MSがある。TOF/TOFはMALDIシステムであるので、装置は高いが操作が簡便でハイスループット化も容易であり、PMFとMS/MSを組み合わせることができる。   サンプルから得られるペプチド断片質量の全体のプロファイルをみたうえで、個別の断片ペプチドの配列(MS/MS)を知ることができる利点がある。LC-MS/MSはイオントラップやQ-TOFタイプなどの質量分析計とnanoLCを組み合わせるので、HPLCの知識が必要で複雑なシステムである。しかしながら、一旦システムを構築することができれば、オートサンプラーを使った自動化やハイスループット化が容易で、より精度の高いタンパク質同定が可能となる。 MS/MSでは、ペプチドイオンをアルゴンガスなどとの衝突エネルギーでフラグメンテーションしたときのスペクトルをデータベースと照合することでタンパク質を同定する。この場合もPMFと考え方は同じで、統計学的な有意差でもって評価するために、結果の正確さはイオンの数と質量精度に依存する。最終的なタンパク質同定のために、サーチ結果のMS/MSシグナルのbイオンやyイオンの一致度を確認したほうがよい。サーチの閾値以下であっても、同定すべきタンパク質が存在することもある。MS/MSスペクトルはペプチドの配列情報を含むことから、データベースに依存しないでシグナルの質量差からアミノ酸配列を推定することも可能である。デノボ(denovo)シークエンシングと呼ばれる方法である。決定配列の正確さはプロテインシークエンサーにはかなわないが、質のよいシグナルが得られれば、比較的容易に配列を

以上のように質量分析によるタンパク質同定は、自動化されて機械的に結果がでてくるので注意が必要である。分析者が直接データを確認して最終的な判断をしたほうがよい。また、質の高い結果を得るためには、サンプル前処理にも気を使う必要がある。泳動後のゲル片を還元アルキル化することで得られるペプチド数が増加するので、質量分析によるタンパク質同定には好ましい前処理である。βメルカプトエタノールなどの還元剤でサンプルを処理した場合、泳動されたタンパク質のシステイン残基はゲル中のアクリルアミドモノマーが付加されることが多い。   従って、泳動後にバンドゲル片をモノヨード酢酸で還元アルキル化処理すると、システイン残基がプロピオンアミドとカルバミドメチル修飾された2種類のタイプが存在するので、MS/MSサーチでは気を付けたい点である。もちろん、簡単には切り出したゲル片を直接トリプシンで消化しても質量分析での同定は可能である。他には、先にも述べたようにケラチンの混入は一番気をつかうところである。質量分析は高感度のために、通常分析では検出されなくてもケラチンが検出されやすい。サンプルの取り扱い以外に、分析する部屋に人の出入りが多いとケラチンがヒットしやすくなるので部屋の雰囲気にも注意したい。 また、サーチの条件設定によって結果が違ってくることがある。分析データの可能性を広げるような設定にすると、統計解析の正確さが低下するので絞り込んだ条件でサーチするほうがより正確な同定結果が得られる。質量分析に限らずすべての装置分析でいえることであるが、再現性のよい結果を得るために標準タンパク質を使って定期的にシステムならびに操作プロトコールのバリデーションを実施するよう心がけたい。

プロテオミクス、即ちタンパク質の網羅的な解析を実施する目的は研究分野により異なるが、一義的には発現しているすべてのタンパク質の発現カタログ作りである。さらには発現変動、翻訳後修飾とその変動、タンパク質間相互作用などを明らかにして個々のタンパク質の役割を理解するとともに分子間ネットワークの構築から生命現象を解明することにある。   一方で、発現タンパク質の網羅的解析は、サンプル間での比較から発現タンパク質の変化(違い)を見出すために汎用されている。特に疾患のバイオマーカー探索は診断薬開発や創薬に結びつくことから、世界中で探索競争が繰り広げられることになった。バイオマーカー探索は2000年頃より活発化し2005年ころがひとつのピークであったように思う。ここでは発現タンパク質の網羅的比較解析を含めてバイオマーカー探索という。バイオマーカー探索の手法は、二次元電気泳動、LC-MS/MS、プロテインチップSELDIシステムの3つに大別することができる。それぞれにメリット・デメリットがあり、研究組織の規模や目的にあわせた使い分けがなされる。二次元電気泳動はハードルが低く比較的安価で簡単に始めることができるので、今では最も利用されている手法である。LC-MS/MSはかなり高価な設備投資が必要となるので、限られた施設で実施されている。プロテインチップSELDIシステムは、ユニークなチップテクノロジーと質量分析計を組み合わせたバイオマーカー探索の専用システムである。他に in vivo 安定同位体標識により発現タンパク質量の変化を調べるSILAC (Stable Isotope Labeling by Amino acids in Cell Culture) や細胞から抽出したタンパク質を安定同位体タグで標識したのちに発現量を比較するICAT、iTRAQなど、質量分析を利用した様々な手法