もし、病気の原因となるたった一つの遺伝子の異常を、正確に「修復」できたら…?そんな夢のような治療法、遺伝子治療の実現を阻む大きな壁がありました。それは、治療用の遺伝子を「ちょうど良い量」だけ細胞に届けることの難しさです。今回、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが、この課題を克服する画期的な遺伝子回路を開発し、脆弱X症候群などの疾患治療に新たな道を拓く可能性がでてきました。多くの疾患は、たった一つの遺伝子が欠損したり、正常に機能しなかったりすることが原因で引き起こされます。

科学者たちは何十年もの間、失われた遺伝子の新しいコピーを患部の細胞に送り届けることで、こうした病気を治療しようと遺伝子治療の研究に取り組んできました。しかし、こうした努力にもかかわらず、米国食品医薬品局(FDA)によって承認された遺伝子治療はごくわずかです。その開発における課題の一つは、新しい遺伝子が細胞内でどれだけ発現するかを精密に制御することの難しさでした。発現量が少なすぎれば効果がなく、多すぎると重篤な副作用を引き起こす可能性があるのです。

この遺伝子治療の精密な制御を実現するため、MITの技術者チームは、遺伝子発現レベルを目標範囲内に維持できる制御回路を調整・応用しました。そして、ヒトの細胞を用いた実験で、この方法を使って脆弱X症候群などの疾患治療に役立つ遺伝子を送り届けられることを示したのです。脆弱X症候群は、知的障害やその他の発達上の問題につながる疾患です。

「理論上は、治療を十分に制御できさえすれば、遺伝子補充によって、非常に多様な単一遺伝子疾患を解決できる可能性があります。これらの疾患は、遺伝子治療による解決策が比較的単純明快だからです」と、今回の新しい研究の責任著者であり、W. M. Keckキャリア開発教授(生物医工学・化学工学)であるケイティ・ギャロウェイ博士(Katie Galloway, PhD)は述べています。

この研究論文の筆頭著者は、MITの大学院生であるケイシー・ラブ氏(Kasey Love)です。この論文は2025年4月28日付の『Cell Systems』誌に掲載されました。共著者には、MITの大学院生であるクリストファー・ジョンストン氏(Christopher Johnstone)、エマ・ピーターマン氏(Emma Peterman)、ステファニー・ガリオーネ氏(Stephanie Gaglione)、そしてMITの生物工学准教授であるマイケル・バーンバウム博士(Michael Birnbaum, PhD)が名を連ねています。論文のタイトルは「Model-Guided Design of MicroRNA-Based Gene Circuits Supports Precise Dosage of Transgenic Cargoes into Diverse Primary Cells.(モデルに基づいたマイクロRNA遺伝子回路の設計により、多様な初代細胞への導入遺伝子の精密な投与が可能に)」です。

 

遺伝子の送達

遺伝子治療は、血友病や鎌状赤血球貧血など、さまざまな病気の治療に期待が寄せられていますが、これまでに承認されたのは、遺伝性の網膜疾患や特定のがんに対するごく一部の治療法のみです。

ほとんどの遺伝子治療では、ウイルスを使って新しい遺伝子のコピーを運び、それを宿主細胞のDNAに組み込みます。しかし、細胞によっては遺伝子のコピーを多数取り込むものもあれば、全く受け取らないものもあります。

「治療用の遺伝子を単純に過剰発現させると、細胞が取り込むコピー数が異なったり、発現レベルが異なったりするため、標的遺伝子の発現レベルに非常に大きなばらつきが生じてしまいます」とラブ氏は言います。「発現量が不十分であれば、治療の意味がありません。しかしその一方で、高すぎるレベルで発現することも問題で、治療用の遺伝子そのものが毒性を持つ可能性があるのです」。

この課題を克服するため、科学者たちは治療用遺伝子の発現を抑制するさまざまな種類の制御回路を試してきました。今回の研究で、MITのチームが使用することにしたのは、不整合フィードフォワードループと呼ばれる回路です。

IFFL回路では、標的遺伝子が活性化されると、同時にその遺伝子の発現を抑制する分子の生産も活性化されます。この抑制を実現するために使える分子の一つがマイクロRNAです。これはメッセンジャーRNAに結合して、タンパク質への翻訳を妨げる短いRNA配列です。

今回の研究で、MITチームは「ComMAND」と名付けたIFFL回路を設計しました。この回路では、mRNAの翻訳を抑制するマイクロRNA鎖が、治療用遺伝子そのものの中にコードされています。具体的には、イントロンと呼ばれる短いセグメント内にマイクロRNAが配置されています。イントロンは、遺伝子がmRNAに転写される際に切り取られる部分です。これにより、遺伝子のスイッチがオンになるたびに、mRNAとそれを抑制するマイクロRNAがほぼ同量、生産される仕組みになっています。

[編集者注:著者コメント] 「この回路はmRNAとほぼ同量のマイクロRNAを生成すると予測していますが、ノックダウン(抑制効果)は完全ではないため、mRNA(ひいてはタンパク質)が完全に失われることはありません。追加のプロセシング段階を経て、成熟したマイクロRNAが標的のmRNAを見つけて結合した時点で、ノックダウンが起こります。これらの介在ステップがあるため、一部のmRNAはタンパク質に翻訳され、すべての転写産物がノックダウンされるわけではないのです。」

このアプローチにより、研究チームはComMAND回路全体を、遺伝子転写が開始されるDNA部位であるプロモーター1つだけで制御できます。強度の異なるプロモーターを入れ替えることで、治療用遺伝子がどれだけ生産されるかを調整できるのです。

より厳密な制御が可能になることに加え、この回路はコンパクトな設計であるため、レンチウイルスやアデノ随伴ウイルス(AAV: adeno-associated virus)といった単一のベクター(運び屋)に乗せることができます。これにより、治療薬の製造しやすさが向上する可能性があります。これらのウイルスはどちらも、治療用カーゴを運ぶためによく使われます。

「これまでにもマイクロRNAベースの不整合フィードフォワードループを開発した研究者はいましたが、ケイシー氏の功績は、それをすべて単一の転写産物にまとめたことです。そして、細胞への送達量にばらつきがある場合に、これが最良の制御をもたらすことを示したのです」とギャロウェイ博士は語ります。

 

精密な制御

このシステムを実証するため、研究チームはComMAND回路を設計し、心臓や神経系に影響を及ぼす疾患であるフリードライヒ失調症で変異しているFXN遺伝子を送達しました。また、機能不全が脆弱X症候群を引き起こすFmr1遺伝子も送達しました。ヒト細胞での試験では、遺伝子発現レベルを、健康な細胞で通常見られるレベルの約8倍に調整できることを示しました。

ComMANDを使用しない場合、遺伝子発現は正常レベルの50倍以上にもなり、安全上のリスクをもたらす可能性がありました。最適なレベルを決定するには、動物モデルでのさらなる試験が必要だと研究者らは述べています。

研究チームはさらに、ラットの神経細胞、マウスの線維芽細胞、ヒトのT細胞でも試験を行いました。これらの細胞には、蛍光タンパク質をコードする遺伝子を送達し、遺伝子発現レベルを容易に測定できるようにしました。これらの細胞においても、回路なしの場合よりも精密に遺伝子発現レベルを制御できることがわかりました。

研究チームは現在、培養細胞または動物モデルのいずれかにおいて、このアプローチを用いて正常な機能を回復させ、疾患の兆候を逆転させるレベルで遺伝子を送達できるかどうかを研究する計画です。

「発現レベルについては、おそらく何らかの調整が必要になるでしょう。しかし、私たちはその設計原理のいくつかを理解しているので、もしレベルを上げたり下げたりする必要がある場合でも、その方法については見当がつくと思います」とラブ氏は言います。

研究者らによると、このアプローチが応用できる可能性のある他の疾患には、レット症候群、筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症などがあります。

「これらの疾患の多くが希少疾患でもあり、患者数が多くないことが課題です」とギャロウェイ博士は述べます。「患者数が非常に少なく、これらの疾患を解決するための資金も潤沢ではないため、私たちは研究者が調整方法を見つけ出せるように、堅牢なツールを構築しようと努めているのです」。

この研究は、米国国立総合医科学研究所、米国科学財団、共同バイオテクノロジー研究所、および空軍研究所から資金提供を受けました。

この記事は、MITのサイエンスライターであるアン・トラフトン氏が執筆した記事に基づいています。

写真;ケイティ・ギャロウェイ博士(Katie Galloway, PhD)

[News release] [Cell Systems abstract]

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