こんにちは! 質量分析屋の高橋です。

以前に投稿した

マススペクトルから何が分かる?

MSで得られる質量情報について

質量分解能と分子の質量・分子量の関係

 

では、マススペクトルを測定する時に観測されるイオンのm/z値とそのイオン種から、私達は基本的には元の(イオンになる前の)分子の質量を知ることができること、また質量分析計の質量分解能が低くてモノアイソトピックピークと同位体ピークを分離できない場合には分子量情報が得られること、を解説しました。 質量分析において、m/z値を正確に得ることは最も重要です。m/z値の正確さによって、得られる情報にはどんな差があるのでしょうか? 現在市販されている質量分析計を大きく分類すると、四重極質量分析計(quadrupole mass spectrometer, Q-MS)、イオントラップ質量分析計(ion trap mass spectrometer, IT-MS)、飛行時間質量分析計(time-of-fight mass spectrometer, TOF-MS)、二重収束質量分析計(double focusing mass spectrometer, Sector-MS)、フーリエ変換質量分析計(Fourier transform mass spectrometer, FT-MS)があります。また、FT-MSには、超電導磁石を使うタイプと電場を使うタイプがあります。 “m/z値の正確さ”は、用いる質量分析計の性能に大きく依存します。

また、どれ位の正確さが必要なのかは、分析目的によって異なります。“m/z値をどれくらい正確に測定できるか”を決定する質量分析計の主な性能は“質量分解能”です。 既知化合物の場合、元素組成が分かっているので、分子の質量(通常はモノアイソトピック質量)は理論的に計算できます。また、イオン種が判断できれば、イオンのm/z値の理論値も計算できます。 理論値に対してどれ位近いm/z 値が得られるか? 理論値と実測値との誤差は、通常分子の質量に対してppm(百万分率)で表します。この誤差が小さいことを“質量確度が高い”と言います。このことを“質量精度が高い”という人あるいはそのように書いている本を見かけることがありますが、“質量精度が高い”とは、マススペクトルを繰り返し測定した時に得られるm/z値の再現性が高い(バラつきが少ない)ことを意味しますので、正しい用語を覚えておきましょう。URLで解説が分かり易いのでご参照ください。さて、下図は、同一の元素組成に対して質量分解能(半値幅)800(A), 10,000(B), 30,000(C), 100,000(D)で計算したシミュレーションスペクトルです。

大凡の目安として、Q-MSやIT-MSではA、一昔前に開発されたTOF-MSではB、最近のTOF-MSではC、FT-MSではDのようなマススペクトルが得られます。質量分解能が高くなるほど、ピークはシャープになり、同位体ピークの間隔が広くなっていることが分かります。ピークがシャープであるほど、その重心(あるいは頂点)の位置を正確に決めることができるようになりますので、イオンのm/z値をより正確に測ることができます。また、質量分解能が高いと、分析対象イオンの近傍にあるイオンを分離することができるというメリットもあります。 整数レベルでm/z値を計れる装置は、Q-MSとIT-MS、小数点以下3桁あるいは4桁のレベルまで正確にm/z値を計れる能力のある装置は、それ以外の3種類、すなわちTOF-MS, Sector-MS, FT-MSになります。 イオンのm/z値を小数点以下3桁あるいは4桁のレベルまで正確に測れると、どんな良いことがあるのか?

それは、イオンの構成元素を推測できることです。 分子の構成元素が分かっていれば、質量は一義的に計算することができます。 そして、イオンのm/z値を正確に測ることができれば、構成元素を逆算することができる訳です。 質量分解能の高い装置を使うメリットは、第一にここにあります。 例えば、ノミナル質量“28”の分子種というと、CO, C2H4, N2などが挙げられます。これらを電子イオン化法(electron ionization, EI)でイオン化すると、分子イオン(M+・)が生成します。Q-MSやIT-MSは質量分解能が低いため、これら分子種から生成する分子イオンのm/z値は28として整数レベルで観測されるので、どの分子種から生成したイオンかを判断することは出来ません。

一方、CO, C2H4, N2のモノアイソトピック質量は、小数点以下4桁でそれぞれ27.9949, 28.0313, 28.0061となり、分子イオンの質量は、これらから電子1個分の質量を引いた値(27.9944, 28.0308, 28.0056)となり、質量分解能5,000(半値幅)程度以上の装置を使うと、これらの分子種が混ざった状態で測定しても、各分子イオンを分離でき且つm/z値を正確に測れるので、どの分子種由来のイオンかを知ることができます。 同じ装置・同じ質量分解能の設定でも、分析種の分子量によって、生成するイオンのm/z値をどの程度まで正確に測定できるかは変わってきます。

私は現在、研究機関のサポートで、電場型のFT-MSを用いて(設定分解能60,000)天然物のLC/MSを行っていますが、分子量500位(試料によっては1,000程度まで)までは、ほぼ一義的に元素組成を推測することができています。 例えば下の図は、ある天然物試料に含まれる既知化合物をQ-TOF-MSで測定した時のマススペクトル(質量分解能約20,000)です。メインピークの観測m/z値447.0926は、プロトン付加分子の元素組成から計算したモノアイソトピック質量に対して0.9 ppmの誤差でした。これは、電子の質量よりも小さな誤差に相当します。

 

質量分解能の高い装置を使うと、質量分解能の低い装置では得られない詳細な化合物情報が得られることはお分かり頂けたと思いますが、どんな試料に対しても、どんな目的に対しても、質量分解能の高い装置を使えば良いという訳ではありません。そのような装置は当然価格も高いですから、“整数質量が分かれば十分”という分析目的に対して、質量分解能100,000のFT-MSを使う必要はない訳です。

このテーマについては、またの機会にさらに詳細な解説をしたいと思います。

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