質量分析屋の髙橋です。この仕事をしていると、QTOFと(Q-)Orbitrapはどちらが良いですか?
と聞かれる事がよくあります。両者とも、現在MS/MS(プロダクトイオン分析)可能な高分解能質量分析計として、プロテオミクスやメタボロミクス、天然物中の未知化合物の構造推定などの用途に双璧をなす装置だからでしょう。今日は、両者について一緒に書いてみたいと思います。
最初に結論を書いておきますが、「個人的にはどちらが良いとは言えない」です。
QTOFは、Q(四重極質量分析部)とTOF(飛行時間質量分析部)を直列に配置したハイブリッドタンデム質量分析計です。正式名称は、四重極-飛行時間質量分析計(quadrupole time-of-flight mass spectrometer)、略す時は、QTOF-MSあるいはQ-TOFMSなどと書きます。前段にQを接続しない単体でのTOFMSについては前回解説しました。
Orbitrapは、学術名はKingdonトラップと言い、キウイフルーツの両端を引っ張って伸ばした様な形状の質量分析部(計)です。Orbitrap単体でも質量分析計として市販されていますが、ここではQTOFと比較するので、Qを前段に配したQ-Orbitrapについて書きます。Thermo Scientific社からQ-Exactiveなどと言う名称で市販されています。Q-Orbitrapは、QTOFと同じハイブリッドタンデム質量分析計に分類されます。
特許の関係で、Orbitrapを開発・販売しているのはThermo Scientificのみですが、QTOFは、Bruker, Sciex, 島津, など複数の企業が開発・販売しています。ざっと調べたところでは、QTOFそのものに関する特許は見当たらないので、誰も基本の技術は権利化しなかった様ですね。
QTOFが幾つかの企業から発売されてOrbitrapと比較されるようになったのは、もう20年近く前の事になると思います。MS/MS機能を有するOrbitrapの最初のモデルはLTQ-Orbitrapだと思います。ぶんせき誌のこの記事によると、LTQ-Orbitrapの上市は2005年のようです。LTQ-Orbitrapは、MS1がQでは無くリニアイオントラップです。
Q-TOFMSによるプロダクトイオン分析は、MS1であるQでプリカーサーイオンを選択し、次に四重極のコリジョンセル(q)でそのイオンを開裂させプロダクトイオンを生成し、TOFでプロダクトイオンを分離します。qは所謂透過型のコリジョンセルになります。一方のLTQ-OrbitrapはMS1がリニアイオントラップで、プリカーサーイオンの選択と開裂は、両方共リニアイオントラップ内で行われます。イオントラップ内におけるイオンの開裂は、透過型のqコリジョンセルとは同じ低エネルギーCIDであっても、主に反応時間の違いに依り、プリカーサーイオンの開裂パターンが異なる場合があります。その事が問題視されたこともあったようですね。この仕事を始めて最初のクライアントさん(研究機関)の所で、LTQ-Orbitrapはかなり使い込みましたが、個人的には、その事は余り気になりませんでしたが。そして、透過型のQコリジョンと同様なパターンのプロダクトイオンスペクトルが得られるとして、HCDと言う開裂方法がオプションで選択できたと思います(標準だったかも知れません)。
LTQ-Orbitrapが国内で使われ始めた当時は、最高質量分解能はOrbitrapの方が高い一方、マススペクトルの取込スピードはTOFの方が速く、それぞれ一長一短がある感じでした。と言うのも、Orbitrapは高い質量分解能を得るためにはスペクトル取込スピードを遅くする必要があり、丁度UHPLCが使われ始めた時期が重なっていたため、QTOFを扱っていたメーカーさんは、その辺りを強調して説明していましたね。
前職の後半で関わった装置がLC-TOFMS(Qが前段にない所謂シングルTOF)で、質量分解能は6,000 (FWHM)でしたが、辞めて直ぐに今の仕事を始め、これまた直ぐにLTQ-Orbitrap(最高質量分解能60,000 (FWHM))を使ったので、質量分解能の高さと検出されるイオンのm/z値の正確さ(質量確度の高さ)には、正直驚かされました。
今では、Orbitrapのスペクトル取込スピードはどんどん速くなり、質量分解能も向上し(機種に依るが最高500,000 (FWHM))、益々強力な装置として成長を続けていると感じます。一方のQ-TOFMSも、質量分解能は向上の一途をたどっていています。
今月の初め(2023年6月4日~8日)、アメリカはテキサス州ヒューストンで開催された、世界最大の質量分析イベント、第71回ASMSコンファレンスに参加してきました。この会は、年度の初めに開催される事もあり、世界中の質量分析関連企業や研究者が最も注目しているイベントです。QTOFMSとOrbitrapについても新製品が発表されていたので、今回は最後にそれらを紹介して締めたいと思います。
史上最高質量分解能のQ-TOFMS: Waters SELECT SERIES MRT
2021年に最初に発表された多段折り返し型のTOFを有するQ-TOFMSであり、その時の飛行距離は47 mで最高分解能は>200,000 (FWHM))でした。それが今回のASMSでは、折り返し回数を約2倍にした装置を発表、飛行距離は100 m、最高分解能は>300,000 (FWHM)との事です。イオンを100 mも飛ばせば、m/zに依存はしますが当然飛行時間も長くなるため、直交加速部でのDuty Cycleは理屈の上では低くなる(イオンのロスが大きくなる)筈です。また、飛行時間が長くなるという事は速いスペクトル取込は難しくなりますので、単純に考えればUPLCとの接続が困難になる筈です。しかし、Watersの開発者がそんなことも分からずに装置開発をする筈はなく、発表する筈もありません。それらの課題を克服する技術が盛り込まれているのでしょう。ASMSの時には、その辺りの突っ込んだ情報までは仕入れられなかったので、今後Watersの人に聞いてみようと思います。
Q-OrbitrapにTOFを組合せたハイブリッド装置:Thermo Scientific, Orbitrap Astral
Q-Orbitrapの後段に多段折り返しのTOFを配置した、ハイブリッド装置。TOF部分の仕様は聞いたけど忘れてしまいました。確か、質量分解能は40,000だか80,000だか(大分違うけど)だと思います。OrbitrapとTOFがパラレルに動作可能と言うところが、この装置の利点だと思います。Orbitrapは高質量分解能の質量分析部ですが、質量分解能を高く設定するとスペクトル取込スピードが遅くなるという制限があります。それを、TOFを追加する事で克服できると思います。
例えば、この装置でDDA(data dependent acquisition)をやろうとして、OrbitrapかTOFの速い取込スピードでマススペクトルを測定し、MS/MSを行うプリカーサーイオンを選択した後、次のパルスではOrbitrapを高分解能にしてマススペクトルを取得しながら、同時並行的にQ+TOFで高速MS/MSを実行するという流れです。これは良く考えたなぁと感心しました。えげつない装置だと思います。価格も相当えげつない様ですが。
ASMSに参加しての感想などは、また別の記事で書いてみようと思います。

