「がんは高齢者の病気」とよく言われますが、年齢を重ねることが実際にがん細胞にどのような影響を与えているのか、不思議に思ったことはありませんか?最新の研究から、驚くべき事実が明らかになりました。なんと「加齢」そのものが、肺がんの転移を引き起こすスイッチを押しているかもしれないというのです。

肺がんは世界中でがん関連死の主な原因であり、主に高齢者が罹患します。しかし、これまでの肺がんのメカニズムに関する動物実験は、ほぼ例外なく若いマウスを使用して行われており、大多数の患者さんが置かれている「加齢」という生理学的な背景が見落とされてきました。そこで、アンガナ・A・H・パテル(Angana A. H. Patel)博士、クロティルデ・ウィル(Clotilde Wiel)博士、ヴォルカン・I・サヤン(Volkan I. Sayin)博士らの研究チームは、この実験モデルと実際の年齢のギャップを埋めるため、若いマウスと高齢のマウスを用いて肺がんの進行を比較しました。


その結果は驚くべきものでした。高齢の遺伝子改変マウスモデル(GEMMs: genetically engineered mouse models)では、若いマウスと比べて原発腫瘍の成長が抑えられていたにもかかわらず、リンパ節や遠隔臓器への転移が多く見られたのです。パテル博士らの研究チームは、この現象の裏に、がん細胞の進化の道筋を変えてしまうメカニズムがあることを突き止めました。この研究成果は、学術誌Natureに「「Ageing promotes metastasis via activation of the integrated stress response(加齢は統合的ストレス応答の活性化を介して転移を促進する)」」というタイトルで発表されました。


研究チームが細胞内の変化を詳しく調べたところ、高齢のマウスから採取した腫瘍細胞では、上皮間葉移行(EMT: epithelial-mesenchymal transition)や小胞体ストレス応答(UPR: unfolded protein response)といった、転移に関連する経路が非常に活発になっていることがわかりました。特に注目すべきは、細胞のストレスに対処するための仕組みである統合的ストレス応答(ISR: integrated stress response)がエピジェネティックに活性化されていた点です。高齢の腫瘍細胞はストレスに対して敏感になっており、ISRの実行役である「ATF4」というタンパク質のシグナルが持続的にオンになることで、転移する能力を獲得していました。


さらに興味深いことに、この「加齢とATF4」の組み合わせは、がん細胞の栄養の取り方にも変化をもたらします。ATF4が活性化した高齢の腫瘍細胞は、グルタミンというアミノ酸の代謝に強く依存するようになるのです。この発見は非常に重要で、グルタミンを分解する酵素であるグルタミナーゼ(GLS: glutaminase)の働きを阻害する薬を使うことで、高齢マウスにおけるがんの転移を劇的に抑えることができました。


人間の非小細胞肺がん(NSCLC: non-small cell lung cancer)患者さんのデータでも、高齢の患者さんほど原発腫瘍が小さいにもかかわらず進行したステージでの発見が多く、ATF4の量が多いと生存率が低下することが確認されています。高齢の患者さんが多数を占める肺がんにおいて、今回の発見は、加齢による転移のメカニズムを逆手に取った、全く新しい治療法の開発につながる大きな希望となります。

https://www.nature.com/articles/s41586-026-10216-0

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