私たちの脳内には、まだ誰もその役割を完全に解明できていない「未知の鍵穴」がいくつも存在していることをご存知でしょうか?現在、多くの薬が標的としているタンパク質の一群に、特定の作動物質(鍵)が見つかっていない「オーファン受容体」と呼ばれるものがあります。今回、研究者たちは最新の解析技術を駆使して、人間の脳内におけるこれらの謎に包まれた受容体の「地図」を作成することに成功しました。この発見は、パーキンソン病や統合失調症などの神経疾患に対する、副作用の少ない画期的な新薬の開発につながるかもしれません。
ロックフェラー大学のナサニエル・ハインツ(Nathaniel Heintz)博士らの研究チームは、ヒトの脳の様々な領域におけるオーファン受容体の発現状況を網羅的に解析した論文「「Orphan GPCRs as Targets for Human Brain Modulation: A Multi-omic Atlas of Cell-Type Specific Expression(ヒト脳変調の標的としてのオーファンGPCR:細胞型特異的発現のマルチオミクスアトラス)」」を発表しました。アラン・アンフレス(Alan Umfress)らをはじめとする研究チームによるこの成果は、神経疾患の新たな治療標的を見つけ出すための重要な一歩となります。
Gタンパク質共役受容体(GPCR: G Protein-coupled receptors)は、臨床的に有効性が確認されている最大の創薬標的クラスであり、現在承認されている医薬品の約35%がこれらの受容体に作用します。GPCRは神経伝達、神経可塑性、神経炎症、神経発達などを調節する中心的な役割を担っており、その機能不全は統合失調症、うつ病、アルツハイマー病、パーキンソン病などの精神・神経疾患に深く関わっています。
しかし、これほど重要な役割を担っているにもかかわらず、体内にある本来のリガンド(結合して作用を及ぼす物質)がまだ特定されていないものが数多く存在します。これらはオーファンGPCR(oGPCR: orphan GPCRs)と呼ばれ、ヒトの脳内での機能についてはまだ基礎的なことしかわかっていません。
そこでハインツ博士のチームは、死後脳から分離した細胞型特異的な細胞核の深い分子的プロファイルを生成するため、蛍光活性化核ソーティングおよびシーケンシング(FANSseq: fluorescence activated nuclear sorting and sequencing)という最先端の技術を利用しました。この技術により、大脳新皮質、線条体、小脳、海馬など、ヒトの脳の複数の領域にわたるoGPCRの発現アトラス(地図)を作成したのです。
研究の結果、RNA転写産物の発現とクロマチンアクセシビリティ(DNAへのアクセスのしやすさ)の両方において、特定の細胞型に選択的に豊富に存在する22種類のoGPCRを特定しました。例えば、GPR6やGPR52といった受容体は線条体にある特定のニューロンに選択的に発現していることがわかりました。また、GPR34やGPR132などは脳の免疫を担うミクログリアに、GPR37やGPR17はオリゴデンドロサイト(希突起膠細胞)やその前駆細胞に豊富に存在していました。
さらに研究チームは、ヒトの脳におけるこれらの標的の細胞型特異的な発現を個別に検証し、広く世界中の科学コミュニティに役立ててもらうためのオープンソースのWebアトラスを開発しました。
今回の研究は、いくつかのoGPCRの新しい細胞型特異的な発現パターンを明らかにし、これらの受容体が脳内で持つ本来の役割を示唆するものです。未知の受容体の役割が解明されることで、脳の特定の神経回路だけを正確に狙い撃ちにする、より安全で効果的な神経疾患治療法の開発が加速することが期待されています。
https://www.biorxiv.org/content/10.64898/2026.03.24.713974v1

