記憶の優先順位が書き換わるとき、脳内では何が起きているのか?

私たちは日々、膨大な情報に囲まれていますが、そのすべてを覚えているわけではありません。「後で使うから」と一旦頭に留めたはずの情報が、いつの間にか消えてしまった経験はありませんか?最新の研究によって、作業記憶(WM: working memory)の中で情報の優先順位が切り替わるダイナミックなプロセスが、実は「忘却」の引き金になっていることが明らかになりました。

作業記憶の競争が引き起こす「長期的な忘却」のメカニズム

作業記憶(working memory)は、短期間情報を保持し操作するための容量制限のあるワークスペースであり、一方で長期記憶(LTM: long-term memory)は、長期間情報を保存する広大な貯蔵庫として機能しています 。これまでの数十年にわたる研究で、これらは独立しつつも密接に関連したシステムであることが示唆されてきました 。しかし、近年の証拠により、作業記憶内でのアイテム間の競争が、長期記憶における保持を弱める可能性があることが示され、その関係は単純ではないことが浮き彫りになっています 。

ニューヨーク大学のジィ・ドゥアン(Ziyi Duan)博士 、テキサス大学オースティン校のチャン・ジヤオ(Zhang Ziyao)博士 、およびジャロッド・A・ルイス=ピーコック(Jarrod A. Lewis-Peacock)博士 らによる研究チームは、論文「Temporal expectation triggers competition in working memory that leads to forgetting(時間的期待が作業記憶内の競争を誘発し、忘却を導く)」 を発表しました。本研究では、限られた作業記憶のリソースをめぐる動的な競争が、長期記憶への定着にどのように影響するかを調査しました 。

 

実験:時間的な「期待」を操作する

研究チームは、20名の被験者を対象に、脳波(EEG: electroencephalography) と多変量パターン解析(MVPA: multivariate pattern analysis) を用いて、作業記憶の内容がどのように変化するかを追跡しました 。

実験では、顔と景色の2つの画像を提示し、どちらがテストされるかを「時間的な期待」によって操作しました 。

  • 早いテスト(1秒後): 顔の画像がテストされると予測される 。
  • 遅いテスト(4秒後): 景色の画像がテストされると予測される 。

被験者は最初、早くテストされる「顔」を優先的に保持しますが、1秒後にテストが行われなかった場合、優先順位を「景色」へと切り替えます 。この優先順位のシフトが、作業記憶内でのアイテム間の競争を引き起こすのです 。

 

優先順位の低下が忘却を加速させる

研究の結果、作業記憶内での表現の変動が、長期的な忘却と直接関連していることが判明しました 。具体的には、長期記憶テストで「顔」を忘れてしまった試行では、作業記憶の後半期間(優先順位が景色に移った後)において、顔に関する神経学的な証拠が著しく減少していることが確認されました 。

これは、単に情報が消えていくのではなく、新しく重要になったアイテム(景色)へとリソースを割り当てる「再優先順位付け」のプロセスが、元のアイテム(顔)の記憶を積極的に弱めていることを示唆しています 。

 

脳はダイナミックな「ゲートウェイ」

ルイス=ピーコック博士らは、作業記憶を受動的な保管場所ではなく、長期記憶に何を残すかを決定する「動的で選択的なゲートウェイ」であると説明しています 。私たちが「いつ、何が必要か」という目標に応じて注意を向ける先を変えるとき、その脳内の ebb and flow(潮の満ち引き)のような変化が、記憶の痕跡を刻み込んでいるのです 。

https://www.biorxiv.org/content/10.64898/2026.03.26.714304v1

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