新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチン接種や感染によって、私たちの体内には今も「免疫の記憶」が残っています。米国の研究チームは、この誰もが持つ抗ウイルス免疫の記憶を、がんと戦うための強力な追い風に変えるという逆転の発想で、新しいがんワクチンを開発しました。マウスを用いた実験では、悪性黒色腫や乳がんの腫瘍増殖を大きく抑え込むことに成功しています。
樹状細胞ワクチンが越えられなかった「CD4T細胞」の壁
樹状細胞(DC: dendritic cell)を用いたがんワクチンは、これまで約200件の臨床試験で安全性とがん特異的なT細胞応答を引き出せることが確認されてきました。しかし、実際に効果が認められた患者は全体のおよそ15%にとどまっており、臨床的な有効性の低さが長年の課題となっていました。
この壁の背景には、腫瘍関連抗原(TAA: tumor-associated antigen)自体の免疫原性の低さに加え、「MHCクラスII拘束性CD4陽性ヘルパーT細胞」の応答をうまく引き出せていないという問題がありました。CD4陽性T細胞は、樹状細胞を活性化(ライセンス)し、腫瘍を攻撃するCD8陽性キラーT細胞の動員・活性化を助け、長期的な免疫記憶を形成するうえで欠かせない存在です。ところが、ヒトのMHCクラスII分子は多様性が高いうえに結合様式も複雑なため、腫瘍特異的なMHCクラスIIネオ抗原を見つけ出すこと自体が技術的に非常に難しいのです。
「他人の記憶」を借りて樹状細胞を目覚めさせる、PROTEXIという発想
ジン・ムク・カン(Jin Muk Kang)氏とユン・ヒャン・ハン(Eun Hyang Han)氏を筆頭著者とする研究チームは、米ユニバーシティ・ホスピタルズ(University Hospitals)レインボー小児病院、ケースウエスタンリザーブ大学(Case Western Reserve University)医学部、およびバイオベンチャーのセロラム(Celloram Inc.)を中心に構成されました。研究の着想のきっかけとなったのは、「COVID-19のmRNAワクチン接種を受けたがん患者では、免疫チェックポイント阻害薬(ICI)への反応が高まる」という近年の知見でした。これは、豊富に存在する抗ウイルスCD4・CD8メモリーT細胞が、バイスタンダー(傍観者)的にがん免疫を後押ししている可能性を示唆しています。
この知見をもとに研究チームが開発したのが、樹状細胞ワクチン・プラットフォーム「PROTEXI」です。PROTEXIは、腫瘍特異的なCD8陽性T細胞エピトープと、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質に由来するCD4陽性ヘルパーエピトープを、同じ樹状細胞の上に同時に提示します。腫瘍由来の弱いシグナルを補うように「他人(ウイルス)の記憶」を借りることで、樹状細胞を強制的に活性化させ、腫瘍特異的なCD8陽性T細胞の応答を底上げしようという狙いです。
この研究成果は、学術誌『Nature Communications』に「The Dendritic Cell-based Vaccine PROTEXI leverages Antiviral CD4 T cell Memory to boost anti-tumor immune responses in mice(樹状細胞ワクチンPROTEXIは抗ウイルスCD4T細胞メモリーを活用し、マウスの抗腫瘍免疫応答を増強する)」というタイトルで発表されました。
「免疫が冷たい」腫瘍でも効果、マウスで確認された抗腫瘍効果
研究チームは、悪性黒色腫(メラノーマ)モデルであるB16F10と、乳がんモデルである4T1を用いてPROTEXIの効果を検証しました。B16F10モデルでは、PROTEXIを投与した群は、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)投与群や従来型の樹状細胞ワクチン投与群と比較して、腫瘍の増殖が有意に抑制されました。4T1乳がんモデルにおいても、あらかじめCD4陽性T細胞を刺激したうえでPROTEXIを投与した群では腫瘍増殖が遅延し、45日目の時点で75%を超える生存率が確認されています。
さらに、PROTEXIは免疫細胞が入り込みにくい「免疫が冷たい(immune-cold)」タイプの腫瘍においても、腫瘍浸潤リンパ球(TIL)の増加を促しました。フローサイトメトリーによる解析では、インターフェロンγやグランザイムBを産生する多機能なCD8陽性T細胞の頻度が上昇しており、単一のエピトープにとどまらず内在性の腫瘍抗原へと免疫応答が広がる「エピトープスプレディング」も確認されました。腫瘍を再度移植する再チャレンジ実験や、長期生存マウスの脾細胞を用いた養子移入実験では、持続的な抗腫瘍免疫記憶が形成されていることも示されています。免疫チェックポイント阻害薬の抗PD-1抗体や、TGF-β受容体阻害薬バクトセルチブ(Vactosertib)との併用では、さらに効果が高まることも分かりました。
ヒトでの実現可能性、そして臨床応用へ向けて
研究チームは、マウスだけでなくヒトでの実現可能性も検証しています。COVID-19ワクチン接種歴のあるドナー由来の末梢血単核球(PBMC)から樹状細胞を作製し、ヒトのがん抗原PRAME・MAGE-A3由来のCD8陽性エピトープとスパイクタンパク質由来のCD4陽性エピトープを組み合わせてPROTEXIを構築、ヒト免疫系を再構築した「ヒト化マウス」の悪性黒色腫モデルに投与したところ、腫瘍量の有意な減少が確認されました。これは、世界中の人々がすでに保有するCOVID-19に対する免疫記憶を、そのままがん治療に応用できる可能性を示す重要な結果です。
研究チームは現在、ユニバーシティ・ホスピタルズと連携し、まずは肉腫(サルコーマ)患者を対象としたヒトでの臨床試験(ファースト・イン・ヒューマン試験)に向けた準備を進めています。既存の免疫療法との相乗効果も期待されており、COVID-19免疫という「誰もが持つ資産」を活用した、新しい世代のがんワクチンの実用化に注目が集まります。
https://doi.org/10.1038/s41467-026-74891-3
