脳卒中(stroke)は世界で毎年1500万人が発症し、500万人が後遺症により恒久的な障害を抱えるといわれています。発症から3か月以上が経過した“慢性期”の患者さんでは、腕や手の運動機能障害に加え、自分の身体がどこにあるかという感覚(身体表象)にも乱れが生じることが知られていますが、十分なリハビリテーションを継続的に受けられないケースも少なくありません。スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zürich)の研究チームは、没入型VR(仮想現実)と皮膚への電気的な感覚神経刺激を同期させて届ける新しいリハビリテーション機器「MultiSensy(マルチセンシー)」を開発し、臨床試験でその効果を確認しました。

研究の背景

脳卒中は世界全体で毎年1500万人が発症し、500万人が生涯にわたる障害を負うとされる、極めて患者数の多い疾患です。発症から3か月以上経過した慢性期の患者さんでは、腕や手の感覚運動機能の障害に加え、“自分の身体がどこにあるか”という身体表象の乱れが持続することが知られています。しかし現在のリハビリテーションは提供体制が限られ内容にもばらつきがあり、満たされていない医療ニーズとして残っていました。没入型のVR技術や非侵襲的な神経刺激は、スケーラブルで高強度なリハビリを実現する可能性を秘めていますが、それらを組み合わせた“マルチモーダル”なアプローチの臨床的な裏付けや客観的な評価手法は十分ではありませんでした。

MultiSensyプラットフォームと試験デザイン

スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zürich)神経工学研究室のジュゼッペ・ヴァレリオ・アウルッチ氏(Giuseppe Valerio Aurucci)、スタニサ・ラスポポヴィッチ博士(Stanisa Raspopovic)らの研究チームは、セルビア・ベオグラードのリハビリテーション専門病院“ドクター・ミロスラフ・ゾトヴィッチ”クリニック(Clinic for Rehabilitation 'Dr. Miroslav Zotović')などと共同で、VRと皮膚表面への感覚神経刺激(経皮的電気刺激)を同期させて提供する多感覚統合プラットフォーム「MultiSensy」を開発しました。仮想空間内でオブジェクトに触れた瞬間に合わせて実際に皮膚へ電気的な感覚刺激を届けることで、視覚・触覚・自己受容感覚を統合的に刺激する仕組みです。

研究チームは、慢性期脳卒中患者34例を対象に、パイロット試験(9例)と、33日間にわたる無作為化フィージビリティ試験(25例)を実施しました。無作為化試験では、MultiSensyによる介入群と従来型リハビリテーション群を比較。主要評価項目には、上肢運動機能を評価するFugl-Meyer評価法上肢版(FMA-UE: Fugl-Meyer Assessment Upper Extremity)とアクションリサーチアームテスト(ARAT: Action Research Arm Test)、身体表象を評価するボディランドマークテスト(Body Landmark Test)を用いました。

主な結果

従来型リハビリテーションと比較して、MultiSensy群ではFMA-UEスコアの改善幅が13.17±1.30(従来群7.54±1.48、P=0.01)、ARATスコアの改善幅が8.25±1.96(従来群2.44±1.08、P=0.029)と、いずれも有意に大きい結果が得られました。加えてMultiSensy群では、身体表象の改善や手の触覚鋭敏度の向上も確認されています。さらに、プラットフォームが継続的に収集する運動学的データ(キネマティクスデータ)から、リハビリの進捗を追跡できる客観的な指標を抽出できることも示されました。

研究の意義

研究チームは、今回の結果は今後のより大規模な臨床試験に向けた足がかりになるとしています。理学療法士による対面でのリハビリ回数を減らしながら複数の患者に対応できる可能性や、自宅など低い監督体制の環境下でも感覚運動リハビリテーションを高頻度に実施できる可能性が示された点は、リハビリテーション資源が限られる医療現場にとって特に意義深いといえます。本試験はClinicalTrials.gov(識別子: NCT06400823)に登録されています。

本研究論文は、2026年6月26日に『Nature Medicine』誌にオンライン掲載されました。タイトルは「Immersive virtual reality with synchronous neurostimulation for upper-limb recovery after stroke: a randomized feasibility trial(没入型VRと同期神経刺激による脳卒中後の上肢機能回復:無作為化フィージビリティ試験)」です。研究を主導したのは、ETH Zürich神経工学研究室のジュゼッペ・ヴァレリオ・アウルッチ氏、および同研究室とウィーン医科大学(Medical University of Vienna)を兼任するスタニサ・ラスポポヴィッチ博士です。

[Nature Medicine article]

この記事の続きは会員限定です