蚊に刺されたとき、私たちの体に入り込むのはウイルスだけではありません。蚊の唾液そのものに、ウイルス感染を有利に進めるための「仕掛け」が潜んでいるとしたら——。ジカウイルスや西ナイルウイルスなど、世界中で年間5億人以上に影響を及ぼすとされる蚊媒介性ウイルスの感染成立の裏側に、種類の異なるウイルス同士が共有する巧妙な戦略が存在することが、新しい研究で明らかになりました。


フランス・モンペリエ大学傘下のMIVEGEC研究所(IRD・CNRS)、マルセイユのIHU地中海感染症研究所、タイのマヒドン大学、英リバプール熱帯医学校、カナダ国立科学研究所(INRS)などからなる国際共同研究チームは、蚊の唾液の中に含まれるウイルス由来のRNA断片が、複数の異なるフラビウイルス属ウイルス(オルソフラビウイルス)に共通する感染成立メカニズムの鍵を握っていることを突き止めました。この成果は、2026年8月29日付の学術誌『Nature Communications』に「Multiple orthoflaviviruses secrete sfRNA in mosquito saliva to promote transmission by inhibiting MDA5-mediated early interferon response(複数のオルソフラビウイルスは蚊の唾液中にsfRNAを分泌し、MDA5を介した初期インターフェロン応答を阻害することで感染伝播を促進する)」として掲載されました。研究チームを率いたのは、IRD(フランス国立研究開発研究所)とマヒドン大学に所属するジュリアン・ポンポン博士(Julien Pompon, PhD)です。

 

ウイルスではなく「RNAの断片」が運ばれていた

ジカウイルスはネッタイシマカ(ヤブカ属)、西ナイルウイルスはイエカ属の蚊によってそれぞれ媒介されますが、系統的には大きく離れたこの2種類のウイルスが、実は感染を有利に進めるための同じ「道具」を使っていることが今回の研究で判明しました。それが、sfRNA(サブゲノムフラビウイルスRNA:subgenomic flaviviral RNA)と呼ばれる、ウイルスの遺伝情報の一部から作られる非コードRNAです。

研究チームは、ジカウイルスに感染したネッタイシマカと、西ナイルウイルスに感染したイエカの唾液を採取して解析し、このsfRNAが、ウイルス粒子(ビリオン)とは別の脂質でできた微小な小胞(ベシクル)に包まれた状態で唾液中に分泌されていることを発見しました。唾液中のsfRNA濃度が高いほど、ヒトの培養細胞や皮膚組織片(スキンエクスプラント)における感染の強さも高まるという、明確な相関関係も確認されました。

 

自然免疫の「初動」を狂わせる巧妙な仕組み

研究チームがさらに詳しく調べたところ、このsfRNAは、ウイルス感染を感知する自然免疫センサーの一つであるMDA5(メラノーマ分化関連遺伝子5)を介したシグナル伝達を阻害し、感染初期に働くはずのインターフェロン応答を弱めていることが分かりました。一方で、同じくウイルスセンサーとして知られるRIG-Iを介した経路には影響を及ぼしていませんでした。つまりsfRNAは、自然免疫システムの中でもピンポイントにMDA5経路だけを狙い撃ちして無力化し、感染が成立しやすい環境を作り出していたのです。

この効果はマウスを用いた皮膚感染モデルでも確認されており、sfRNAを一緒に接種された場合、皮膚での感染がより強まり、症状も悪化する傾向が示されました。感染成立の最初の舞台となる「刺し口の皮膚」というごく限られた場所で、複数のウイルスが同じ免疫回避の仕組みを進化させてきたことになります。

 

複数のウイルスに効く「広域スペクトラム」治療への期待

ジカ熱や西ナイル熱をはじめとする蚊媒介性ウイルス感染症に対しては、これまでワクチンや蚊の駆除といった対策が中心となってきましたが、有効性や安全性、対象ウイルスの範囲などに限界がありました。今回、系統的に離れた複数のオルソフラビウイルスに共通する「sfRNAによる自然免疫回避」という戦略が明らかになったことで、このsfRNAの分泌や小胞へのパッケージング、あるいはMDA5経路への干渉そのものを標的とする、特定のウイルスに限らない広域スペクトラムの新しい治療戦略の可能性が見えてきました。

今後、蚊の唾液中のsfRNAをブロックする、あるいはその機能を阻害する物質を開発できれば、ジカ熱や西ナイル熱に限らず、デング熱など他のフラビウイルス感染症に対しても応用できる可能性があり、蚊媒介性感染症対策の新たな切り口として注目されます。

 

[Nature Communications article]

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