水のボトルや食品容器、医療機器など、私たちの生活のあらゆる場所に使われているプラスチック可塑剤「DEHP」。この身近な化学物質が、妊娠中の曝露を通じて赤ちゃんの脳の発達に影響を及ぼしている可能性があるという、新たな研究結果が発表されました。オーストラリアの研究チームが、DEHPへの胎児期曝露と自閉症・ADHD症状との関連を、遺伝子のスイッチを切り替える「エピジェネティック」な仕組みから解明したのです。
この研究成果は、2026年9月11日に『Med』誌(Cell Press)にオンライン掲載されました。オープンアクセス論文のタイトルは「Prenatal Exposure to the Plasticizer DEHP Increases the Likelihood of Early-Life Autism and ADHD Symptoms through Epigenetic Programming(プラスチック可塑剤DEHPへの胎児期曝露はエピジェネティックなプログラミングを通じて乳幼児期の自閉症・ADHD症状の可能性を高める)」です。研究を主導したのは、オーストラリア・メルボルン大学フローリー神経科学・精神衛生研究所(Florey Institute of Neuroscience and Mental Health, University of Melbourne)のアン・ルイーズ・ポンソンビー博士(Anne-Louise Ponsonby)で、筆頭著者はバイオインフォマティクス解析を担当したサミュエル・タナー氏(Samuel Tanner)です。
DEHP(di-(2-ethylhexyl) phthalate)は、ポリ塩化ビニル(PVC)を柔らかくするために広く使われているフタル酸エステル系の可塑剤で、食品包装や医療用チューブ、玩具など日常生活のさまざまな製品に含まれています。妊娠中のDEHP曝露が自閉スペクトラム症(ASD)やADHDのリスクと関連することを示唆する疫学研究はこれまでにも報告されてきましたが、その背後にある生物学的なメカニズムは十分に解明されていませんでした。
研究チームは、オーストラリアの出生コホート研究「Barwon Infant Study(BIS)」に参加した847人の子どもを対象に、母親の妊娠36週時点の尿中DEHP代謝物濃度と、出生時に採取した臍帯血のDNAメチル化(DNAに結合してその遺伝子の働きのオン・オフを切り替えるエピジェネティックな化学修飾)を調べました。さらに、2歳時・4歳時の行動評価によって、自閉症・ADHDに関連する症状(多動性、不注意、対人関係の問題など)の有無を追跡しました。
その結果、妊娠中に高濃度のDEHPに曝露された子どもほど、2歳・4歳時点で自閉症・ADHD関連症状が多く見られる傾向が確認されました。とりわけ曝露量が上位2%に入るグループでその影響が顕著でした。研究チームは、DEHP曝露の程度を反映する「DEHPメチル化プロファイルスコア(MPS DEHP)」と、531個の遺伝子からなる共メチル化ネットワークを特定し、これらのエピジェネティックな変化がDEHP曝露から症状発現までの経路の21~80%を媒介していることを、因果媒介分析によって明らかにしました。このネットワークには、神経細胞に特徴的な遺伝子マーカーのほか、自閉症・ADHDのリスク遺伝子として知られるFOXP1、SHANK2、PLXNB1、さらにDEHPが作用すると考えられるエストロゲン受容体やグルココルチコイド受容体の標的遺伝子が多く含まれており、小脳・辺縁系・前頭皮質といった脳領域との関連も示唆されました。なお、この影響は男児でより明確に見られました。研究チームはこの「エピジェネティックな署名」を、別の血液サンプル(66人)および死後脳組織サンプル(40人)を用いた独立したデータセットでも検証し、自閉症との関連を確認しています。
筆頭著者のタナー氏は、「私たちが見出したのは、DEHPへの曝露が自閉症やADHDに寄与しうるという、生物学的に説明可能な新たな証拠です。出生前により高濃度のDEHPに曝露された乳児は、出生時の臍帯血において、遺伝子のオン・オフを切り替えるエピジェネティックなスイッチに特徴的な変化を示していました。そして、この'エピジェネティックな署名'を持つ子どもたちは、2歳・4歳時点で自閉症・ADHD関連の症状をより多く示す傾向があり、その影響は女児よりも男児で明確でした」と述べています。
研究チームは、今回の成果がヒトを対象とした実データに基づき、DEHP曝露がDNAメチル化を介して神経発達に影響を及ぼす分子メカニズムを示した初めての報告だとしています。妊娠中のDEHP曝露規制の見直しを後押しする可能性があるとともに、今後はフタル酸エステル類の複合曝露の影響や、曝露低減策の効果を検証する研究が期待されます。
