ヒトの脳や脊髄のもとになる「神経管」は、受精後わずか1カ月足らずのうちに、平らなシート状の組織が丸まって閉じることで形成されます。この過程がうまくいかないと、無脳症や二分脊椎といった重篤な先天異常につながりますが、倫理的な制約からヒト胚を直接操作して原因遺伝子を調べることはこれまでほとんどできませんでした。
今回、米国ハーバード大学の研究チームが、ヒト多能性幹細胞(hPSC)から作った「神経管オルガノイド」を使い、77個の候補遺伝子を1つずつノックダウンする大規模な遺伝子スクリーニングを実施し、神経管閉鎖に必須な3つの転写因子を突き止めました。この研究成果は、学術誌『eLife』に「Arrayed single-gene perturbations identify drivers of human anterior neural tube closure(個別遺伝子摂動アレイスクリーニングがヒト前方神経管閉鎖の制御因子を同定する)」として2026年7月7日に発表されたオープンアクセス論文です。
なぜヒトの神経管形成は研究が難しいのか
ショウジョウバエやゼブラフィッシュでは、個体まるごとの遺伝子をランダムに壊す大規模スクリーニングによって、体づくりを制御する重要な遺伝子が次々と発見されてきました。しかし、同じ手法をヒト胚に適用することは倫理的に禁止されており、マウスなど哺乳類モデルを使うにしても、クローン変異体の作製には多大なコストと時間がかかるうえ、ヒトとは発生のタイミングや遺伝子制御の仕組みが異なる場合があります。
近年、ヒト多能性幹細胞(hPSC)から立体的な「オルガノイド」を作り、ヒトの発生過程を試験管内で再現する研究が進んでいます。ただし、これまでのオルガノイドを使った大規模遺伝子スクリーニングは、1つのオルガノイドの中に異なる遺伝子ノックダウンを受けた細胞が混在する「プールド(混合)方式」が主流でした。この方式は単一細胞レベルでの遺伝子機能の解析には有効ですが、組織全体が協調して変形する「形態形成(モルフォゲネシス)」の仕組みを調べるには不向きでした。狙った変異が形態形成に重要な領域にたまたま入ったとしても、その細胞数が少なすぎて組織全体の形には影響しないためです。
オルガノイド1個まるごとを均一にノックダウンする新技術
研究チームを率いたシャラド・ラマナサン(Sharad Ramanathan)博士らは、この課題を解決するため、オルガノイド1個の細胞すべてに同じ遺伝子ノックダウンを行き渡らせる「アレイ型CRISPRi(CRISPR干渉)スクリーニング」プラットフォームを開発しました。
まず、ヒトES細胞を六角形状に配置した250マイクロメートル径の足場(マイクロパターン)上で培養し、BMP・TGFβ・WNTシグナルを段階的に調節することで、平らな神経板が盛り上がって折れ曲がり、正中線で融合して閉じた管になるという、ヒト胚の前方(脳になる部分)の神経管閉鎖過程を高い再現性で模倣するオルガノイドモデルを確立しました(4日間の分化誘導で、4回の生物学的反復すべて・24個のオルガノイドすべてが神経管を閉じることに成功)。
次に、レンチウイルスの産生や幹細胞への感染条件を最適化することで、96ウェルプレート規模で77種類の遺伝子それぞれに対する高力価ウイルスを個別に作製し、専用に設計したPDMS製の24区画チップを使って、1枚のガラスチップ上で24種類の遺伝子ノックダウンを並行して実施できる仕組みを構築しました。この結果、mCerulean蛍光でモニターした遺伝子導入効率は中央値99%に達し、隣接ウェル間の汚染も5%未満に抑えられました。
77個の転写因子をスクリーニングし、3つの「主犯格」を発見
研究チームは、まずオルガノイドの単一細胞RNAシークエンシングにより、神経外胚葉(将来の脳になる部分)に特異的に発現する20個の転写因子を選び出し、さらに発現量の異なる58個の転写因子を対照群として加えた、計77個の候補遺伝子についてノックダウンスクリーニングを実施しました。
その結果、24個の遺伝子のノックダウンでは軽度の閉鎖遅延にとどまった一方、ZIC2、SOX11、ZNF521という3つの転写因子をノックダウンした場合にのみ、3回の生物学的反復すべてで重度の閉鎖異常が一貫して観察されました。興味深いことに、ZIC2とSOX11をノックダウンすると神経板が全く閉じずに開いたままになったのに対し、ZNF521をノックダウンすると、逆に複数の場所で閉鎖が起きてしまう(本来1カ所であるべき閉鎖点が増える)という、正反対の表現型が見られました。
単一細胞RNAシークエンシングによる遺伝子発現解析からは、ZIC2とSOX11がPAX2やCRABP1など共通の下流遺伝子群を協調して活性化する一方、ZNF521はこれらの遺伝子群を抑制する、いわば「アクセルとブレーキ」のような関係にあることが示されました。なおPAX2はマウスで神経管閉鎖異常(外脳症)の原因として知られ、CRABP1の一塩基多型はヒトの二分脊椎・外脳症患者で報告されている遺伝子です。
先天異常の理解と将来の治療標的探索へ
ZIC2がマウスで神経管閉鎖に必須であることは以前から知られていましたが、今回の研究はヒトの細胞を使ってこれを裏付けるとともに、新たにSOX11とZNF521という2つの制御因子を発見した点が大きな意義を持ちます。ヒトの無脳症は胎生致死であるため、原因遺伝子の特定は全エクソーム解析でわずかな症例からしか得られておらず、研究チームは今後、無脳症や二分脊椎の患者でこれら3遺伝子の変異や発現異常を調べることが重要な研究課題になるとしています。
研究チームは、今回開発したプラットフォームは神経管形成に限らず、ヒト幹細胞由来オルガノイドを用いた他の形態形成プロセスの遺伝学的解析にも幅広く応用できるとしており、先天性疾患の原因解明や将来的な治療標的の探索を大きく前進させる技術になると期待されます。
