「AIが抗体を設計できる」——そんな触れ込みが相次ぐ中、その実力を第三者の目で公平に検証した研究はほとんどありませんでした。米Specificaが主導した国際チームは、29の研究機関・企業を巻き込んだ前向き盲検ベンチマーク「AIntibody」を実施し、AI抗体設計の現在地を数字で示しました。
研究の概要
本研究は、Nature Biotechnology誌に2026年8月19日付で掲載された論文「A blinded, prospective benchmark of in silico antibody discovery anchored to experimental affinity and developability(実験的な親和性と開発可能性に基づく、コンピュータ上での抗体探索の前向き盲検ベンチマーク)」に基づきます。研究は米企業Specificaが主導し、責任著者の一人であるアンドリュー・ブラッドベリー博士(Andrew R. M. Bradbury, PhD、Specifica最高科学責任者)、筆頭著者の一人であるM・フランク・エラスムス博士(M. Frank Erasmus, PhD)らが中心となってまとめました。
「盛り上がり」と「実力」を切り分けたい
近年、AI・機械学習を用いたコンピュータ上での抗体設計(in silico antibody design)の報告が急増していますが、その多くは既存データを使った後付けの検証(retrospective analysis)にとどまり、独立した実験による前向きの検証が不足していました。これでは、本当の技術的進歩と誇張された期待とを見分けることが困難です。タンパク質構造予測の分野で信頼性向上に大きく貢献してきたCASP(Critical Assessment of Structure Prediction)のような、前向き(prospective)かつ盲検(blinded)で、実際の実験結果に基づいたベンチマークが、抗体設計の分野にも必要とされていました。また抗体開発では、標的への結合力(親和性)だけでなく、発現性や熱安定性、凝集のしにくさといった「開発可能性(developability)」も同時に満たす必要があり、これらを両立させる難しさも大きな課題でした。
29組織・511配列を巻き込んだ盲検チャレンジ
研究チームは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のスパイクタンパク質受容体結合ドメイン(RBD)を共通の標的として、3種類の課題からなる「AIntibodyチャレンジ」を実施しました。課題1は、既存の抗体配列を改良して親和性を高める「アフィニティ成熟」、課題2は、重鎖CDR3(HCDR3)クラスター内から高親和性配列を選び出す「ランキング」、課題3は、既存のライブラリーの外側から新たに配列を設計する「新規CDR設計」です。学術機関、AI創薬企業、大手製薬会社など計29組織が参加し、合計511配列が提出されました。提出された配列はすべて完全長IgG抗体として合成・発現され、高スループット表面プラズモン共鳴(HT-SPR)と直交検証法(KinExA)による親和性測定、さらに疎水性・自己凝集性・熱安定性など5項目からなるパネル試験による開発可能性評価という、統一された実験プロトコルで客観的に評価されました。
「効果があるタスク」と「まだ難しいタスク」が明確に
結果、有効な提出配列165件のうち71.5%がRBDへの結合を示し、13.3%がナノモル濃度以下の高親和性を達成、1件はピコモル濃度台の極めて高い親和性を示しました。また71.4%が開発可能性の基準を満たしました。特に課題1(アフィニティ成熟)では、中国のAureka社が94.7ピコモルという高親和性を達成し、親抗体から約2,000倍の改善に成功、実験室での従来型の成熟プロセスに匹敵する成果を上げました。一方、課題2(HCDR3クラスター内ランキング)では、ほとんどのAIモデルの性能がランダムに配列を選ぶ場合を下回るという厳しい結果となり、課題3(新規CDR設計)でも成績にはばらつきが大きく出ました。全体として、AIモデルの得意・不得意はタスクによって大きく異なり、一つの課題で高い性能を示したモデルが別の課題でも通用するとは限らない、という「汎化性能の乏しさ」が浮き彫りになりました。
研究の意義と今後の展望
本研究は、AIによる抗体設計の実力を、公平かつ客観的な実験データに基づいて初めて包括的に示した点に大きな意義があります。特定の条件下では既にAIが高親和性かつ開発可能な抗体を生み出せる一方、親和性の正確な予測やライブラリー外からの新規設計には依然として課題が残ることも明確になりました。研究チームは、CASPのような継続的な盲検ベンチマークの重要性を強調しており、今後はより多様な標的抗原や公開データセットを用いた反復評価を通じて、AI創薬技術の着実な進歩を検証していく必要があるとしています。
