「最近、物忘れが増えた」——加齢とともに多くの人が実感するこの変化に、脳の中で何が起きているのでしょうか。英国エディンバラ大学の研究チームが、神経線維を包み込む“絶縁体”の役割を果たす細胞、オリゴデンドロサイト(oligodendrocyte)の機能不全が、加齢に伴う認知機能低下の重要な引き金になっていることを、ヒトの死後脳サンプルとマウスモデルの両方から明らかにしました。
この研究成果は、2026年8月25日に「Nature Medicine」誌にオープンアクセスで掲載されました。論文タイトルは「Oligodendrocyte Dysfunction in Human Age-Related Cognitive Decline(ヒトの加齢に伴う認知機能低下におけるオリゴデンドロサイト機能不全)」です。
研究チームは、スコットランドで実施されている大規模な長期追跡研究「ロージアン・バース・コホート1936(Lothian Birth Cohort 1936: LBC1936)」の参加者由来の死後脳サンプルを解析しました。LBC1936は、11歳時点と70歳以降の複数時点でIQ検査を受けた1,000人超の参加者からなるユニークなコホートで、11歳時と70歳時のIQスコアには強い相関(R=0.69、P=2.2×10⁻¹⁶、n=1,017)が見られる一方、個人によって老年期の認知機能低下の度合いには大きなばらつきがあります。
研究チームは、脳梁(corpus callosum)のサンプルを、認知機能の低下が緩やかだったグループと重度だったグループに分けて比較しました。その結果、認知低下が重度だったグループでは、神経線維を覆う「コンパクトミエリン」と呼ばれる正常な髄鞘構造が減少しているだけでなく(P=0.041)、髄鞘化された軸索の直径が小さくなり(P=0.024)、太い軸索ではかえって髄鞘が厚くなる「g比」の低下(P=0.045)という、一見矛盾した変化が見られました。さらに、脱髄や変性の兆候を示す軸索の密度も増加していました(P=0.00094)。
これらの変化の背景を探るため、研究チームはオリゴデンドロサイト(神経線維に髄鞘を巻きつける細胞)そのものに着目しました。すると、認知低下が重度なグループほど、細胞を酸化ストレスから守る転写因子「NRF2(acronym: Nuclear factor erythroid 2-related factor 2)」の発現がオリゴデンドロサイトで低下しており、逆にオリゴデンドロサイトの総数は増加していることが判明しました。
この因果関係を確かめるため、研究チームはオリゴデンドロサイト特異的にNRF2を欠損させたマウスを作製しました。すると、このマウスはヒトで見られたのと同じような白質病理(小さな軸索直径、厚い髄鞘)を示し、加齢に伴う認知機能の維持がうまくいかなくなることが確認されました。また、ミトコンドリアサイズの増大も観察されましたが、こちらは加齢そのものとの関連が強く、認知機能低下の重症度とは独立した変化であることも分かりました。
研究チームは、軸索が細くなる変化がアルツハイマー病の病理進行度を示す「ブラークステージ(Braak stage)」の進行とも関連していることを見出しており、加齢性の認知機能低下と神経変性疾患に共通する病理メカニズムが存在する可能性を示唆しています。
今回の発見は、これまで神経細胞そのものに注目が集まりがちだった加齢性認知機能低下の研究において、神経線維を支えるオリゴデンドロサイトとNRF2経路という新たな治療標的を提示するものです。ただし、今回の解析はLBC1936という主に欧州系のコホートの脳梁領域に限定されており、他の脳領域や集団での検証が今後の課題となります。
