ヒトの脳血管系は複雑に巡らされた繊細なネットワークであり、脳の正常な機能維持に不可欠な多様で専門化された細胞によって構成されています。しかし、それらの細胞が空間内でどのように配置され、互いにどのように協調しているのかについては、これまで十分に解明されていませんでした。

今回、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のジェリー・C・ワン(Jerry C. Wang)博士、エドワード・F・チャン(Edward F. Chang)博士、アリ・B・モロフスキー(Ari B. Molofsky)博士、イーサン・A・ウィンクラー(Ethan A. Winkler)博士らの研究チームは、ヒトの脳血管細胞に関する包括的なアトラスを構築した研究論文「Spatial atlas of the human brain vasculature reveals specialized cell ensembles(ヒト脳血管の空間アトラスが明らかにする専門化された細胞アンサンブル)」を発表しました。

31万以上のトランスクリプトームから解明された脳血管の「細胞アンサンブル」

研究チームは、脳血管疾患のない39名のドナーから得られた314,535個の単一細胞・単一核トランスクリプトームデータを統合し、動脈から静脈に至る動静脈軸(arteriovenous axis)を網羅する精細な脳血管細胞アトラスを構築しました。

さらに、10x GenomicsのXeniumプラットフォームを活用し、ヒトの側頭葉皮質(6名)および海馬(7名)の150万個以上の細胞において、300遺伝子パネルを用いた単一細胞解像度の空間トランスクリプトミクス(spatial transcriptomics)解析を実施しました。

その結果、血管内皮細胞(endothelial cells)、壁細胞(mural cells:血管平滑筋細胞やペリサイト)、線維芽細胞(fibroblasts)、血管周囲マクロファージ(PVM: perivascular macrophages)といった専門化された細胞がランダムに存在するのではなく、動静脈の解剖学的構造に沿って「血管細胞アンサンブル(vascular cell ensembles)」と呼ばれる微小な細胞共同体を形成していることが明らかになりました。

動静脈軸に沿った機能分律とヒト特異的なメカニズム

この「血管細胞アンサンブル」は、動静脈の区間ごとに異なる重要な役割を担っています。

  • 動脈・細動脈領域: 血管平滑筋細胞や内皮細胞が協調し、神経活動に応じて血流量を調節する神経血管結合(neurovascular coupling)や血管収縮をコントロールしています。
  • 毛細血管領域: 物質交換を行う「輸送ペリサイト(transport pericytes)」や内皮細胞が集まり、厳密な血液脳関門(BBB: blood-brain barrier)の輸送機能を維持しています。
  • 静脈・細静脈領域: 白血球の遊走や免疫監視(immune surveillance)を調整し、脳内の神経免疫応答を制御しています。

また、マウスとヒトの比較解析により、ヒトのペリサイトでは各種トランスポーター(SLC6A1やSLC20A2など)やBBB輸送経路が顕著に強化されていることが判明し、ヒト特異的な脳血管適応のメカニズムも浮き彫りになりました。

脳神経疾患のリスクと特定の血管細胞・区間との関連性

研究チームは、ゲノムワイド関連解析(GWAS)の疾患リスク遺伝子データと本アトラスを統合し、様々な神経疾患の遺伝的脆弱性がどの血管細胞や区間に集読しているかを多角的に解析(MAGMA解析など)しました。

  • 脳小血管病(cSVD)および脳卒中: 脳小血管病の初期リスク遺伝子は、毛細血管や細動脈・細静脈に存在するペリサイト(特に「マトリックスペリサイト(matrix pericytes)」)に強く濃縮されており、疾患の進行に伴って平滑筋細胞への関与がシフトする可能性が示唆されました。
  • 筋萎縮性側索硬化症(ALS)および前頭側頭型認知症(FTD): 運動神経疾患であるALSやFTDの遺伝的リスクも、毛細血管のペリサイトに選択的に関連していることが発見されました。
  • アルツハイマー病(AD): アミロイドβの排除や血管障害に関わる血管周囲マクロファージ(PVM)が、最も強い遺伝的リスクの濃縮を示しました。
  • 偏頭痛(Migraine): 動脈内皮細胞や平滑筋細胞、ペリサイトへのリスク濃縮が確認され、血管性の関与が分子レベルで裏付けられました。

さらに、既存薬の受容体発現プロファイルに基づく解析(Drug2Cell)から、ACE阻害薬は動脈内皮細胞を優先的に標的とするのに対し、インターロイキン受容体拮抗薬は静脈内皮細胞に作用することや、cSVD治療薬として期待されるPDE3阻害薬(シロスタゾールなど)がマトリックスペリサイトを直接標的とし得ることが示されました。

まとめと今後の展望

本研究は、ヒトの脳血管における分子・空間的構造をかつてない精度で解き明かした金字塔となる成果です。

「血管細胞アンサンブル」という新たな概念と、解剖学的区間ごとの疾患脆弱性の解明は、脳卒中、脳小血管病、アルツハイマー病などの病態解明を飛躍的に進めるとともに、特定の血管区間や細胞をねらい撃ちする精度医療(プレシジョン・メディシン)や創薬アプローチの基盤となることが期待されます。

https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674%2826%2900805-6

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