夏の夜、静かな部屋の中でなぜか自分だけが蚊に狙われる――そんな経験をした人は多いのではないでしょうか。蚊が人間を探し出す手がかりの一つが、私たちが吐き出す息に含まれる二酸化炭素(CO2)です。しかし森や草むらなど、植物由来の匂いに満ちた自然環境の中で、蚊はどうやってCO2という微かな信号を見失わずに嗅ぎ分けているのでしょうか。米ハーバード・メディカル・スクール(Harvard Medical School)とボストン大学(Boston University)の共同研究チームが、その神経回路の秘密を解き明かしました。この研究は2026年9月10日、オープンアクセス誌PLOS Biologyに「Recurrent synapses between CO2-sensitive olfactory sensory neurons enable robust CO2 detection in Aedes aegypti mosquitoes(CO2感受性嗅覚受容神経間の再帰的シナプスがネッタイシマカにおける頑健なCO2検出を可能にする)」として発表されました。
神経同士が「ぐるぐる」つながる回路構造
共同筆頭著者のジアルー・バオ氏(Jialu Bao、ハーバード・メディカル・スクール)とウェスリー・アルフォード氏(Wesley Alford、ボストン大学)、責任著者のメグ・ヤンガー博士(Meg A. Younger, PhD、ボストン大学生物学部)とウェイチュン・アレン・リー博士(Wei-Chung Allen Lee, PhD、ハーバード・メディカル・スクール神経生物学部)らの研究チームは、ネッタイシマカ(Aedes aegypti)の触角にある上顎触鬚(maxillary palp)の中で、CO2に応答する糸球体(glomerulus)に注目しました。
連続切片電子顕微鏡(serial-section TEM: transmission electron microscopy)を用いてこの糸球体の神経回路を三次元的に再構築したところ、CO2を感知する嗅覚受容神経(ORN: olfactory sensory neuron)同士が、互いに向き合うようにして極めて多数の再帰的シナプス(recurrent synapse)を形成していることが判明しました。一部の接続部にはリボン状のシナプス前構造(ribbon-like presynaptic structure)も確認され、両側の脳を合わせて合計60個観察されています。
ショウジョウバエの約11倍という密度
比較対象としてショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の全糸球体を同様に解析したところ、蚊のCO2応答糸球体におけるORN間シナプスは平均283.4±53.4個と、ショウジョウバエのどの糸球体よりも約11倍多いことが分かりました。この差は統計的にも極めて大きく、両者の神経回路の設計が大きく異なることを示しています。
さらに研究チームは、この再帰的シナプス結合の有無が刺激検出能力にどう影響するかを、計算論的な回路モデルによって検証しました。その結果、この密な再帰的結合こそが、植物などから常時放出される雑多な背景臭が存在する自然環境下でも、CO2という手がかりを埋もれさせずに際立たせ、頑健に検出するために必要であることが示されました。
蚊媒介感染症対策への応用に期待
ネッタイシマカはデング熱やジカ熱、黄熱病といった感染症を媒介することで知られており、CO2検知は蚊が宿主を探し当てる行動の引き金となる重要な感覚です。今回明らかになった神経回路の設計原理は、蚊の嗅覚システムを標的とした新たな防除戦略を考える上で、分子・神経科学的な足がかりになると期待されます。
