気候変動対策として注目される「大気中からの二酸化炭素(CO2)除去」。その有力な手法の一つに、岩石の風化を利用してCO2を大気中から取り除く方法があります。しかし、天然の岩石風化はきわめてゆっくりとしか進まないため、実用化には大きな壁がありました。ハーバード大学医学部(Harvard Medical School)ワイス・インスティテュート(Wyss Institute)の研究チームは、海洋細菌を遺伝子操作することでこの風化速度を大幅に加速させ、CO2除去量を直接測定できる新しい技術を開発しました。この研究成果は、2026年8月28日付で『Nature Biotechnology』誌にオープンアクセスで掲載されました。論文タイトルは「Engineered bacterial siderophore production accelerates rock weathering for carbon removal(遺伝子改変した細菌のシデロフォア産生による岩石風化の加速と炭素除去)」です。
背景:岩石風化というCO2除去戦略
橄欖石(かんらん石、olivine)のような苦鉄質・超苦鉄質の鉱物は、水と反応して溶解する際にアルカリ性の重炭酸イオン(HCO3-)を生成し、大気中のCO2を安定した形で長期間固定することができます。この「増強風化(enhanced weathering)」は有望なCO2除去(CDR: Carbon Dioxide Removal)手法として注目されていますが、これまでの野外での岩石散布実験は風化速度が遅すぎて、実際にどれだけCO2が除去されたかを正確に測定することが困難でした。化学薬品や生物由来の酸を使って風化を早めようとする方法も試みられてきましたが、酸を加えるとアルカリの生成そのものが妨げられてしまうという根本的な課題がありました。
そこで研究チームが着目したのが、海洋細菌が分泌する「シデロフォア(siderophore)」という鉄キレート分子です。鉱物が風化する過程では、溶け出した鉄が酸化鉄となって鉱物表面を覆い、それ以上の風化を妨げてしまいます(パッシベーション)。シデロフォアは、この鉄を強力にキレート(捕捉)することで表面の不活性化を防ぎ、中性のpH環境でも風化を促進できる可能性があります。研究チームは、この仕組みをスケール可能な生物学的プロセスとして確立することを目指しました。
手法:遺伝子改変した海洋細菌と連続バイオリアクター
研究チームは、天然にシデロフォア「ペトロバクチン(petrobactin)」を産生する海洋細菌Alteromonas macleodii(アルテロモナス・マクレオディイ)に着目しました。しかしこの細菌は通常、鉄が不足した環境でしかシデロフォア産生遺伝子(asbA、asbCなど)を発現しません。橄欖石が風化する過程では鉄が供給されてしまうため、天然株ではシデロフォア産生がすぐに抑制されてしまいます。研究チームはこの制約を克服するため、鉄の有無に関わらずシデロフォアを高発現し続けるよう遺伝子改変した株(asb+P株)を作製しました。
実験には、改造した連続培養装置「eVOLVER」ケモスタットを用いた連続鉱物バイオリアクターを使用しました。海水を媒体として連続的に供給・排出しながら、橄欖石の砂を沈降させて保持する仕組みです。さらにパイロットスケールの実験では、未処理の天然海水と、再生可能な酢酸塩を炭素源として用い、4kgの橄欖石を用いた風化実験を行いました。ライフサイクル分析(LCA)を用いて、正味のCO2除去を達成するために必要な条件(再生可能な原料の使用や、改変細胞の補充を最小限に抑えることなど)も検証しています。
主な発見
天然株を用いた実験では、橄欖石の存在下で鉄が供給されるとシデロフォア産生が抑制され、持続的な風化促進が難しいことが確認されました。モデル予測と実験の両方で、橄欖石の量が少なく希釈率が高いという狭い条件下でのみ、鉄制限とシデロフォア産生が維持されることが分かりました。
これに対し、遺伝子改変株を用いたところ、橄欖石の溶解速度がニッケル・鉄・ケイ素などの溶出マーカーで測定して2.6倍(±1.0)に向上しました。さらにパイロット規模の連続バイオリアクター実験では、改変株を使用した場合、アルカリ生成量から算出して1日あたり0.50gのCO2が大気から直接除去されたことが確認されました(細菌を加えない対照実験ではネットのCO2除去は見られませんでした)。ライフサイクル分析では、風化の加速によって総CO2除去量が1日あたり0.71kgから1.81kgへと増加し、正味のCO2除去量は対照と比べて74%増加すると予測されています。
意義と今後の課題
本研究は、海洋細菌の遺伝子工学によって、天然の生理的な制約を克服し、持続的かつ測定可能な形で岩石風化を加速できることを実証した点で重要です。海水を媒体としたタンク型のバイオリアクターという形で単位操作を確立したことにより、CO2除去量を直接かつ定量的に測定できるスケーラブルな技術基盤が示されました。
実用化に向けては、再生可能な原料の使用や改変細胞の補充を最小限に抑えることが鍵になるとともに、大規模なリアクター設計、長期的な安定性、環境影響評価など、スケールアップに伴う課題への対応が今後求められます。研究チームは、他の鉱物や微生物への応用可能性についても期待を示しており、海洋を利用したアルカリ生成型のCO2除去技術として、気候変動対策への貢献が期待されています。
本研究は、ハーバード大学医学部(Harvard Medical School)ワイス・インスティテュート(Wyss Institute for Biologically Inspired Engineering)のニール・C・ダルヴィー氏(Neil C. Dalvie)を筆頭著者とし、パメラ・A・シルバー博士(Pamela A. Silver, PhD)とマイケル・スプリンガー博士(Michael Springer, PhD)を責任著者とする研究チームによって行われました。
